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初乗:東海道新幹線1965(2) [国鉄1960年代]


 昨日の記事をアップロードして見直していたんですが、「ひょっとして俺たちの乗った列車、6時の「ひかり」じゃあ無かったろうか???」って想いが湧いています。営業開始後10ヶ月、前売りの指定券が買えなかった筈は無かったんじゃあないか??という事です。各駅に停まった記憶も無いし・・・・でも、通過の記憶も無いんですけれど・・・・まあ、良いですが・・・・記念に切符を貰わなかったのでしょうか、それとも何処かの引き出しの奥で寝ているのかもしれません。
 大体、東京駅の一番海側のホーム、あのころは19番線だったかに居る列車の前で記念写真を撮っているのが、引っ掛かっています。このホームの、『ひかり=海側』、『こだま=山側』、じゃあ無かったろうか・・・???名古屋も気になる!私たちの乗った列車は海側・・・一番西側に入ってます。
 もう、訳が分かりません。そんな訳で、昨日のブログの「こだま号に乗った」というあたりは、「”こだま”か”ひかり”、どっちか覚えていない」・・・・と、訂正しなくてはなりません
 44年前の事とはいえ、またまた、「老人力がアップグレード」したんだなあ!!と思いますね。
○| ̄|_  

 気を取り直して、続きを書きます。新大阪に着きました。『ひかり』なら10時、『こだま』なら11時ですね。昼食はとらなかったのでしょうか。外へ出て、今度は高速バスで名古屋へ行きましょう。この辺の発想パターンは未だに残っていますね。家内は、こんな旅行に良くぞ付き合ってくれたもので、感謝ですね。

 初乗:東海道新幹線1965(2) 

 1965年・昭和40年7月18日・日曜日、新幹線に乗っています。いよいよ、新大阪駅に到着するわけで。

(1) 車窓から鳥飼の基地を撮っています。当時は「0系」なんて言わなかった新幹線の電車が並んでいます。

(2) 新大阪駅に到着しました。すかさず記念写真。弱冠27歳の私が写っています。時計でも写っていれば、『こだま』か『ひかり』か区別が付くわけですが・・・・・。

(3) 新大阪駅の外へ出ました。これからバスに乗ります。『高速バス』ってものに馴染みが無かったので、乗っても居ないバスを撮っています。日本高速バス・・・・なんだか随分、大袈裟なお顔です。
 私たちの乗ったのは、後ろ側に写っているバスだったはずです。この車両かどうかはわかりませんが、会社はコレでした。日本急行バスの急行・名古屋行に乗車しました。

(4) 新大阪駅を出た『日本急行バス』は、普通の道を走ります。阪急電車の踏切を渡りました。いいタイミングで、阪急1600が来ました。『大阪・急・XX』(XX=読めない=二文字)のヘッドマークをつけています。名神高速道路には豊中のインターチェンジから入ったと思われるのですが、よく判りません。1600というと、デイ100の電動機利用の京都線用電車と聞きますが、地図で見ると、この踏切、宝塚線かなあと思います。この辺りに詳しい方に教えを請いたいので、何方かお教えくださると嬉しいです。

 今回のご報告はここまでです。 

 
 新大阪駅から日本急行バスに乗って訳ですが、名神高速道路の豊中インターチェンジまでの経路がわかりません。なにしろ、踏切を渡ったりしている。皆様にコメントを頂いて、経路が大体わかりました。皆様、有難う御座いました。踏み切りについては、この地図の「A」「B」だろうと思います。府道14号線:大阪高槻線がC」です。電車は京都方面行ですね。

(国土地理院地形図25,000分の1:大阪西北部から)

 これから、初めての高速道路体験をバスでやろうってわけで、大いに期待でした。その証拠に矢鱈と写真を撮っています。続きは、また次回に!!!


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初乗:東海道新幹線1965(1) [国鉄1960年代]


 数日前にお正月で、お目出とう!!なんていってたと思っていたら、今日はもう二月になっちゃった。まあ、月日の経つのが早いこと早い事!!
 あの新幹線だって、1964年・昭和39年の10月1日、発車式の現場を見物に行ってたの覚えているけれど、44年前という実感がありませんね。

 この1964年の春だったか夏だったかに、当時としてはかなり無理して車を買いました。勿論中古で、あのスバル3601962年式スーパーデラックスで薄いブルー、手形を何枚も切って、たしか、24万円だったかな?良い車でした。姿かたちもいいし、よく走りました。お蔭さんで、それ以来、中断はありましたが、ずっと他社製品には眼もくれず富士重工スバルを貫いています。
 そのスバル360が購入一年目、1965年、不調となりました。走行中にシフトレバーがニュートラルになっちゃう、急に、熱が冷めまして、売っちゃおうという事になりました。近所の業者に持ち込んで、売っちゃいました。まあ、子供は居ないし、ドライブ用の贅沢品でしたから、それでよかったのしょう。でも、転がり込んだ、わたし的には大金で如何しましょう。
 カメラを買いました。特売の型落ちですが、ミノルタSR-1、交換レンズも買いました。35mm/F4と、100mm/F4、手動のプリセット絞りのローコスト製品です。そして、旅行をしようということになりました。

 家内と二人で、大阪へ。勿論、話題の東海道新幹線の日帰り旅行です。要するに、新幹線に乗りに行ったってわけです。ついでに、名神高速道路のバスにも乗っちゃいましょう。

 そんなカラースライドが2本分あります。フジカラーのリバーサル、ASA100。当時はフジクロームじゃあなかった気もするけれど、まあどっちでもよろしい。これが、何をケチったのか20EXなんですね。いろいろと写っているのですが、ろくな写真が無い。しかも、窓からの写真ばっかりで、面白くも有りません。輪を掛けて退色も著しい。そんな中から、何枚かお目に掛けたいと思い、取り掛かりました。今日から、何回かに分けて始めますが、あんまり期待しないで下さいね。

 初乗:東海道新幹線1965(1) 

 1965年・昭和40年7月18日・日曜日、一番のこだま号・・・・ひかり号は買えなかったので、たしか6時30分発のこだま号・・・・に乗ろうと、指定券を買って、前の晩から東京都区内の親戚に泊まらせてもらい、早朝の東京駅に出かけてゆきました。家内との二人旅です。のぞみが新横浜に停まるという現在では考えられない、大袈裟なスタートでした。まあ、超特急「ひかり」と特急「こだま」が、一時間に各一本って時代ですから・・・・。

(1) 出発前のこだま号の最後尾で記念撮影。光前頭も機能していた頃のお話で、ぼんやり光っています。

(2) 大名古屋ビルヂング、旧名古屋駅本屋が見えて、まさに名古屋。上り列車も居ます。

(3) 名古屋駅・・・関西本線でしょうか、C57らしい機関車が、客車を引いて停まって居りました。

(4) 関が原越えの勾配をぐんぐん登ってゆきます。

(5) 米原ですね。EF58の引く列車は何でしょう?スハフ42には、急行らしいプレートが差し込まれています。機関車はグリーン仕様らしいけれど、退色で眼も当てられません。いろいろ頑張ってみましたが、私の技術では修正不能でした。

(6) 米原駅を出て新大阪に向かいます。貨物操車場風景・・・・D50かな?

 今日はここまででお仕舞いです。次回以降、どんどん鉄道の絵が減っています。鉄道ファンとして、困ったものですが、まあ事実なんでお許しください。 

 昨日の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線のタイガースラッピング気動車の現状について、同鉄道に問い合わせ中でしたが、本日、ご丁寧なメールを頂戴いたしました。それで、昨日分のページの追加と訂正を入れましたので、御覧下さい。
 URLは下記。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2008-01-31

 次回は、新大阪です。


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原町田駅蒸気機関車1969年 [国鉄1960年代]


 お早う御座います。昨夜は12時丁度に布団に入り即睡眠に入ったけれどお決まりのトイレが3時、その後、ちゃんと眠れて5時過ぎに目が覚めた。まあ、5時間眠れれば『上の部』。よく眠れた事にします。

 今朝は、久しぶりに蒸気機関車のお話。我が町にも、保存展示されている蒸気機関車あるのです。町田市役所に程近い場所に、D51862が、屋根の下で綺麗に展示されています。保存会のようなものもある筈で、手入れもいいようです。車で何時も前を通っていますけれど、そばで、じっくり見上げた事も、そう何回も無かったんじゃあないだろうか・・・・・。たまには、写真を撮っておこうとも思うけれど、身近すぎて、何時も通り過ぎるだけ・・・・・。

 ・・・・・で、町田市には国鉄の横浜線が通り、蒸気機関車が貨物列車を牽いてきていた事もあったのです。JRの横浜線の町田駅が、「原町田駅」と言っていた頃のお話です。
 ただ、保存展示されている蒸気機関車はD51だけれど、実際に走っていたのは、C58でありました。たぶん、横浜線に定期的にD51が入ってた事は、戦時はともかく、無かったんじゃあないだろうか・・・・・。

 国鉄・原町田駅・蒸気機関車1969年 

 頃は1960年代末期、たぶん、一緒のフィルムに写っている子供の年頃から、判断すると1969年・昭和44年だと推定されますが、子供を連れて、国鉄横浜線の原町田駅(昭和51年、町田と改称)に、蒸気機関車を見せに(見に?)行ったのです。時刻は記録が無いんですが・・・・・ともかく、八王子方面から貨物列車が到着しました。

(1) 何両引っ張って来たか判りませんが、かなり長い。右側の貨物ヤードにはワムの列が見えています。日本通運の営業所があって、トラックが出入りしておりました。そんな、鉄道貨物輸送が賑やかだった頃のお話なのです。
 牽引してきたC58177、煙突に余計なものも付いておらず、綺麗ですね。たしか、貨物列車はここが終着で、菊名まで行って、東急東横線にあった貨物ホームや、東横線の田園調布まで、貨車が行っていた時代もあったけれど、何時の間にか、ここ原町田までとなってしまったようです。詳しい事は、調べてみなければ判りません。あんまり、無責任な事も書けませんので、ここでは、『・・・・の、ようでした』ということで。

(2) 黒煙が立ち上り、機関車が動き出しました。入れ替えが始まります。

(3) 横浜側にあった引き上げ側線に向けて動き出す。

(4) 貨車の種類もいろいろで・・・・・。

(5) 三両めの貨車が気になって部分伸ばし。どうやら、家畜車のようです。原町田に家畜車が来るなんて、何が運ばれて、または運び出されてゆくのでしょう。畜産の盛んな街でもなかったし・・・・・。まあ、今でも、乳牛を飼っている『牧場』もありますけれど。そういえば、現在『家畜車=カ』は有るんでしょうか?無くなっちゃったんじゃあ無いかと思うんですが・・・・・。

  友人も家族を連れて参加、楽しい蒸気機関車&貨物列車鑑賞会でありました。一緒に連れて行った子供も、あれから38年経って立派な大人になりました。うちの子も、そろそろ電車汽車を見せに行く年齢になりつつあります。一世代経ってしまいました。感慨。

 では、また次回・・・・内容は今のところ未定ですが・・・・(笑)。


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新幹線開業前夜(下・終) [国鉄1960年代]

 ど~も!今日も、む~さんの昔噺にお付き合いくださいまして、有難う御座います。「新幹線開業前夜」の「下・・・・最終回」です。
 今日は、所謂、ブルートレイン。寝台重点の長距離特急列車です。新幹線が開業すれば、こっちにも影響が出ることでしょう。

 新幹線開業前夜・東海道本線1964年(下・終) 

 1964年・昭和39年9月20日・日曜日のことでありました。午前中の、上り列車が集中する時間帯に合わせて現地に行ったらしく、上りの特急列車が、三本ですが、写っています。撮影場所は、現在の東戸塚あたりと思います。

(1) 特急あさかぜ 牽引機はEF60502。

(2) 特急さくら 牽引機はEF60501。

(3) 特急みずほ 牽引機=EF60507。距離標が36km1/2地点ですね。東戸塚駅の少し手前ってあたりでしょうか・・・・・。

 新幹線は無く、飛行機利用も現在ほど一般的とはいえなかった時代の東海道本線を、ちょっとだけ見ていただきました。

 では、また次回!!!!


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新幹線開業前夜(中) [国鉄1960年代]

  一昨日の続きです・・・・友人とともに、国鉄東海道本線の撮ろうと、保土ヶ谷~戸塚間に出かけてゆきました、当時は、未だできていなかった、今の東戸塚駅の辺りに行ったのです。御覧の通り、いかにも田舎風の風景が広がっていました。1964年・昭和39年9月20日・日曜日のことでありました。

 新幹線開業前夜・東海道本線1964年(中) 

 今回は、急行、準急、そしてスカ線で、たった三枚ですけど・・・・・・。

(1) 急行宮島です。153系も、約900kmうぃ走破していたのですね、

(2) 準急・湘南日光です。165系を使っています。先日、訪問した大宮の『鉄道博物館』に、この湘南日光のヘッドマークが展示されておりました。左の奥の方に貨物列車が写っています。一見、EH10なのですが、拡大すると、どうも違うようなのです。ひょっとすると、EF61かも知れません。

(3) 横須賀線です。20m2扉車の扉増設車です。モハ43→クモハ51200、またはモハ53→クモハ50000なのだそうですが、どっちかは判りません。先頭に立つと、この電車は実に格好いいと思います。三扉化も時代の要求なのでしょう。


 次回は、このシリーズの最終回で、九州特急です。


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新幹線開業前夜(上) [国鉄1960年代]

 今回は、新幹線開業直前の写真を少々・・・・誰でも知ってる1964年・昭和39年は東京オリンピックの年、そして東海道新幹線の開業です。10月1日から、在来線、東海道本線の輸送形態もがらりと変わる・・・・東京~大阪間が3時間になるってんで、みな期待して開業を待っていました。まあ、新幹線は開業時は、超特急ひかり=4時間、特急こだま=5時間でしたけど・・・・・。

 同時に東海道本線の長距離列車が大きく変わるってぇんで、1964年・昭和39年9月20日・日曜日、鉄道大好き仲間何人かで、スバル360の62年式・・・ちょっと前に買った中古で、当時としては、かなり、無理した・・・・に乗って、東海道本線の、保土ヶ谷駅~戸塚駅間まで、出かけて行きました。

 この写真、ホームページ『む~さんの鉄道風景』でも公開しているのですが、ダイヤルアップ時代のものなので、写真が小さいのです。今回の、このブログでは写真を480×360pixelと、大きくしましたので、多少は見やすいかと思います。・・・・が、撮影以来40余年、かなり変色してます。上・中・下と三回にわたってお送りいたします。

 新幹線開業前夜・東海道本線1964年(上) 

 場所なのですが、宅地化・市街化でがらりと変わってしまい、現在地図を眺めても、如何なっているのやら、訳が分からなくなっています。たぶん、東海道本線と並行する貨物線とが分離するあたり、いまの東戸塚駅あたりではなかろうかと思いますし、その様な記憶も少しあります。国道一号線から細い道を線路に沿って未舗装の道を入り込んで行き、道を踏み外して皆でクルマを持ち上げたり、走行に苦労した記憶もあります。

(1) ブリジストンのそば、ワンマン道路の脇あたりから撮っています。ワンマン道路の跨線橋のトラスが左、向こう側に『KODA CUP』とありますから、児玉化学工業なのでしょう、地図を見ると、右が東京側になるはずです。クハ151で、尾灯の赤が見えるので多分、下り列車。ヘッドマークが二文字に思えるので、「富士」ではなかろうかと・・・・・。まあ、撮影時刻も不明で、上りの九州特急が写ってるので、たぶん、午前中なのですが、実際のところ、よく判らない。

(2) 貨物線が写っていませんので、今の東戸塚駅よりもさらにトンネル寄りに入り込んで行ったようです。下りの「つばめ」パーラーカーを先頭に、やって来ました。

(3) (2)の「つばめ」の後姿。

(4) 貨物線が並行し、複々線。左の奥に赤で「Koito」の大看板があるので、まあ、そのあたり。おおとりが上って来ました。

(5) (4)のおおとりを追いかけて写しています。この先の方で線路は左にカーブし、現在、東戸塚駅のあるあたりを通るのでしょう。


 今日は、これで、お仕舞いです。次回は、たった三枚ですが、ふつ~の電車、スカ線、急行、準急です。

 では、また!!!


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中央東線1963年 [国鉄1960年代]

 今日は、ナマのお話しが無いので、昔話を一寸だけ・・・・・。

 1963年・昭和38年11月23日・土曜日・勤労感謝の日、私は、国鉄中央東線の撮影に出かけたのです。カメラはミノルタALという、ロッコールF2の45ミリの付いた距離計・露出計連動のレンズシャターカメラに、フジカラーネガ64フィルムをつめ、他に、白黒フィルムを入れたミノルタセミP。事前に、どうやって入手したのか中央東線のダイヤ、そして5万分の1の地形図。

 早朝起床。今朝は米国から衛星中継の試験放送が行われる。好奇心は今でも強いけど、昔も野次馬だったので、お出掛け前のテレビ。いきなり、ケネディ米国大統領暗殺のニュース

 横浜線で八王子に出て、中央本線急行アルプス。電化は甲府までだったので、気動車急行、キハ58。甲府でお弁当の朝食、窓の風景を眺めながら撮影地を探し、小淵沢で下車。バスで少し長坂駅方面に戻った、名は忘れた停留所で降りる。バスの乗客さんに聞いていた、細い道を登ると中央本線の線路に出ました。八ヶ岳をバックに、枝垂桜の名木?があるところでした。中央本線のこの辺りは、まだ単線でした。

(1) 枯野を行く急行気動車アルプス号

(2) 周囲の状況から見て、(1)と同じ列車のようです。尾灯の赤がいいでしょ?(笑)

(3) 下りの貨物列車はD51の牽引。防煙装置の所為かブラストが甲高く聞こえます。向こうの赤煉瓦の水路橋のアーチをくぐってやって来ました。

(4) 枯野の向こうに去ってゆく短い貨物列車・・・・泣ける風景でですね~。((3)の列車ですね)

(5) ま、色々あって、カラーフィルムも無くなり白黒の入ったセミ判カメラで・・・・ここは、長坂駅のすぐそばです。上り貨物列車、D51のナンバーはネガをルーペで見れば分かるかもしれませんが、スキャンデータではボケています。ま、ご容赦ください。バックの八ヶ岳が綺麗でした。長坂駅は中央線に多かったスイッチバックの一つでしたね。


(6・・・追加) あ!、クロースアップしてみたら、このD51、門デフですね。・・・・で、写真、追加しましたが、ナンバーはやっぱり読めません。624?ネガをルーペで見るしかなさそうです。(10月31日13時50分:写真追加)

 結局、長坂駅で、この日の撮影行を終え帰途についたようですが、帰りの事は完全に忘れました。まあ、40何年昔のお話なので、忘れたって深刻に悩みません(笑)。

  この旅、詳しくは下記URLから私のホームページ『む~さんの鉄道風景』をご覧下さい。

 中央東線1963年11月23日 
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link116-chuo.html


 では、また次回に・・・!!!


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長めの旅をしたいと思う事が-Ⅳ [国鉄1960年代]

 今日は1960年代突入の、昭和35年のお話を致しましょう。

 1960年・昭和35年1月、35ミリハーフサイズカメラ・オリンパスペンを持って、旅の雰囲気を楽しもうと東京駅に出かけてゆきました。7月23日~9月15日~9月23日に続く、第4回で、これがこのシリーズの最終回です。千秋楽というか、大団円というか、フィナーレというか・・・・「特急はと」で締めましょう。

 長めの旅をしたいと思う事が-Ⅳ 

(1) 12時少し前、いよいよ、牽機EF5863がSGの蒸気を吹き上げながら、「特急はと」を回送してきました。右端の人物は、9月15日号で、列車を待つ異人さんのグループの画像がありましたが、そのなかの一人。多少は機関車が気になるのでしょうか・・・・・・。

(2) 異人さんたちは展望台からの乗り込みです。回送の機関車を外す作業が行われています。

(3) 作業終了!!

(4) EF5863が離れてゆく。展望室の硝子にヘッドマークつきの機関車の顔が映っています。

(5) 展望車の前部ドアには、さっきの異人さんたちの手荷物が積み込まれました。う~ん、横浜ではこのドア、如何するんでしょう。展望車に手荷物室ってあったかしら・・・・・。

(6) いきなり、「特急はと」の一号車に来ました。スハニ35に機関車が連結されます。

(7) 「特急はと」は、12時30分の発車ですから、あと15分もあります。展望車のデッキで記念写真を撮る人たち。まるで演出されたような写真になりましたが、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんにお孫さんでしょうか・・・・なんだか、幸せそうです。




 4回にわたって、断続的にお送りしてきた、「昭和35年一月の東京駅」は、今回でお仕舞いです。また、次回に・・・!!!

 


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長めの旅をしたいと思う事が-Ⅲ [国鉄1960年代]

 9月15日、第二回目を書いた、1960年1月東京駅。7月23日の第一回同様、反響が大きかったので、勝手に好評と思い込んで仕舞う事に致します。(笑)
 今日は、そのときのフィルムの残りの駒の中から・・・・・・・・・・・。

 昔々、東海道本線が旅客輸送のメジャーであった時代がありました。始発駅の東京駅、特に長距離列車の出発する14番、15番線は、華やかで、夢があり、そこに立っているだけで旅行の気持ちになれたものです。昭和35年1月、買って貰ったばかりの、35ミリハーフサイズカメラ「オリンパスペン」を持って、やって来た、む~さんでありました。

 長めの旅をしたいと思う事が-Ⅲ 

 1960年・昭和35年1月のある日の東京駅14番、15番線。そこで写したものの中からランダムに・・・・・。

(1) 遠くに小さく見える時計は11時30分・・・・らしい。このお客さんの列は、左側、14番線に入っている九州特急に乗るのではないのです。この特急は到着してお客さんを降ろし、回送待ち。12時00分発の名古屋行き普通列車に乗るための列。見事な昭和30年代中ごろファッションですね。最近の和服の激減が嘘みたい。

(2) スハ32とかを並べた列車が入り、お客さんが乗り込んで行きます。

(3) 折角並んだ列が、ぐじゃぐじゃになってしまったのは、少々残念だけど・・・・。

(4) お客さんも席に落ち着いて・・・・お見送りの方とご挨拶。

(5) ホーム事務室の裏側では、お弁当屋さんが忙しそう。働くおじさんの左側の棚は、ホームの柱に下げる案内板のように見えます。

(5-追加) 案内板の棚を拡大してみました。

(6) 当時としては先進的販売車・・・・なんたってオールステンレス。お茶は勿論、焼き物容器。お出かけ姿のご婦人は旦那様の分も買っているのでしょう。時計は12時05分、『特急はと』は既に入線。『はと』のお客さんだと思われます。


  今日の更新はこんなところで・・・・・・。


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長めの旅をしたいと思う事が-Ⅱ [国鉄1960年代]

 この7月23日、ネタ切れで煩悶した挙句、昔々、東海道本線が旅客輸送のメジャーであった時代、その起点の駅、東京駅で昭和35年1月に写した写真を、このブログで出しましたら、思ったよりも反響があったので、またもネタ切れしちゃった今朝、その続編で行こうと思ったわけです。

 前にも書きましたが、フィルムは既に大変形、縦方向に丸まって、細長い(長さは35ミリフィルム6駒分の)ストローみたいな棒状になって広げることも出来ません。それが、まだ、なんとも無かった頃、1,360DPIでスキャンしたデータが残してあるので、そのデータから・・・・・・。撮影ハードウエアは、ハーフ判オリンパスペンF3.5付。フィルムは何だったか忘れた。その頃好んで使っていた、フジのネオパンFだったかもしれません。

 長めの旅をしたいと思う事が-Ⅱ 

 1960年・昭和35年1月のある日「旅に触れたい」と東京駅に出掛けて行きました。家から、池上線で五反田、山手線で品川。ここから東海道本線の各駅停車客車列車で東京駅でした。

(1) 時計は11時25分、私は右側の列車、浜松発318列車で、11時22分、到着したようです。左側は荷物専用列車のようで、荷扱いも終わったのか、従業員さんたちがお掃除中

(2) 遠い時計はボケてますが11時30分のように見えます。(1)の写真を撮ったあと、すぐに来たみたいです。14番、15番ホームですね。当時、一番の花形ホームでした。もうじき、昼の各等特別急行列車『はと』が入るのでしょう。女性のお客さんに和服も多く見られましたが、男性にも和服の方が・・・・インヴァネス(とんび)を着た方も・・・・・。(内田百閒先生の『贋作・我輩はネコである』にインヴァネスを買うくだりがあり、あの辺りも、好きですね)

(3) お弁当屋さん

(4) 14番線12時00分発・名古屋行普通列車には、すでにお客さんが乗って発車を待っています。私の一番好きだった客車、スハ32のファミリーのスハフ32、ダブルルーフ版。

(5) 時計は11時55分。もう直、特別急行列車「はと」が入線する筈です。一等展望車のお客さんの、異人さんのグループ。赤帽さんも3人いて、いまホームに上がってきたところなのでしょう。

 過ぎた日の5枚の写真、ランダムに並べてみました。


   ・・・・・次の話題、また、『どんどん忘却度の進行している脳ミソ』を掻き回して、一生懸命探しますね。


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