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小田急・江ノ電・箱根登山 ブログトップ
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ロマンスカーSSEで御殿場まで [小田急・江ノ電・箱根登山]

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pen-pc.gif 先日の1980年の1~3月、「名鉄岐阜市内線」のフィルム、コダカラー400/24EXの後半に、写って居た10駒ほどの画像です。
 岐阜は中学2年生の長男と一緒でしたが、今度は小学校3年の次男と一緒でありました。目的地は、国鉄御殿場線の御殿場、乗っていったのは、小田急ロマンスカーSSE3000の連絡急行「あさぎり」でありました。

 小田急町田駅からロマンスカーで国鉄御殿場駅へ 

 そう言う訳で、当時3年生だった次男を連れて、小田急の町田駅から、連絡急行(当時は、そう称して居たらしい)あさぎり号で、国鉄御殿場線御殿場駅まで行く事になりました。いや、別に用事があったわけじゃあないんです。単に、短いSE車、SSE3000に乗ってみたい・・・そんな理由。

(1) あさぎり号は空いていたようで、車内は、こんな感じ。もっとも、ここは、すでに国鉄エリアのようです。何処の駅でしょう?
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(2) ・・・・で、(1)の部分拡大。列車後部の風景(5号車です)。駅には、貨物側線があって、出発信号機が二基あって、ホームが進行方向右側で・・・・となると、松田駅でしょう・・・。
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(3) あっという間に御殿場駅のシーン。途中、何駒か写しておけば良いんですが、何にもありません。到着直後の記念写真
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(4) 御殿場に着いたからと言って、帰るしかない阿房電車。駅近くの本屋さんで立ち読みで時間を潰したみたいですね、こんな写真。
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(5) 駅前商店街も歩いてみました。写真は有りませんが、とあるお魚屋さんの店先に、並んだ魚の中に、イルカの切り身(鯨みたいに見えた)を発見、驚嘆した事が未だに記憶にあるんですから、よほど吃驚したんでしょう。
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(6) どの位経ったのでしょう。何時ごろだったんでしょう。もう帰る為に、ホームに入りました。もちろん、帰りは各停です。向こうのホームには、さっきのSSE3000、さらにその向こうには、あ!165系の姿が・・・・。
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(7) 国府津行の御入場。115系です。
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(8) 乗った車内は、こんな感じ。多分、御殿場駅だと思うのですが、下り列車と交換だったのでしょう。
 当時、42歳の私です。28年か・・・・早いなあ。まあ、小学校3年生の息子だって、いま、子供が5年生だからね~。光陰矢の如し!細かいことを忘れるだけの時間は経ってるんです。
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(9) 途中の駅で、急行と交換。165系の3両編成。たしか、急行東海に併結されて来たのが、国府津で分割されたもののようです。愛称は忘れました。これで、本気に調べれば、愛称や現在時刻は判るはずですが・・・・ま、いいや!と・・・・いい加減な私です。何処の駅でしょう・・・・・。
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(10) 又もや部分拡大してみると、右の上には高速道路、ブリッジを渡って進行方向右側が出口と来れば駿河小山駅なのでしょう。
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(11) 御殿場線の電車は東海道本線乗り換えの国府津駅に着きました。たぶん、これは国府津なんだと思います・・・・と、少々怪しいけれど、この景色、間違いないでしょう。
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coffee.gif ・・・・・で、何処を如何通ったかなんて完全に忘れていますが、如何にか家には帰ったんでしょう。まあ、順当なところ、国府津~藤澤~小田急江ノ島線~町田ってところだったと思われます・・・・証拠は有りませんけど、横浜~東神奈川~横浜線~町田のメは無いと思います。このあたりで、本日は終了。


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小田急貨物列車1970年(下) [小田急・江ノ電・箱根登山]

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pencil-red.gif 小田急の貨物列車を写しに長男を連れて1970年・昭和45年の夏、たぶん8月か9月、大根駅(現・東海大学前駅)付近と、新松田駅付近に出撃しました。前回は、大根駅付近でしたが、撮影後、恐らく秦野駅で、時間調整後、おなじ列車がやってくる新松田駅付近まで車で移動して、件の列車を待ちます。

 小田急貨物列車1970年(下) 

 新松田駅から新宿方面に少し戻ったあたり、人気の無い砂利の作業場がありまして、そこを撮影場所に決め、砂利山に登り列車を待ちました。

(1) SSE3000の特急が来ました。「さがみ」です。バックの山が、なにやら開発工事なのか無残な姿に・・・・。
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(2) お次は新宿行特急、いまだに小田急随一の特急車だと思っているNSE3100です。ネガをルーペで見ると「あしがら」と読めます。
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(3) NHE車とよばれた2600系6連。
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pencil-green.gif さあ!いよいよお目当ての貨物列車! 

(4) 来ました・・・・ED1031を先頭に、段々、近づいてくる。
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(5) 紛れも無き、先ほど大根付近で撮影したラインナップの列車です。
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(6) 先頭はED1031、次位はED1041。デキ1031形ED1031は1930年の日本車輌、デキ1041形ED1041は1951年の中日本重工製。(鉄道ピクトリアル・アーカイブスセレクション・小田急1960-70より引用)
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(7) ED1031のサイドビュー。
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(8) 機関車の次のトフ100形トフ110は小田急の貨物列車の点景として欠かせない貨車。屋根上の水雷形通風器がアクセント。
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(9) チキの2両はレールでも運んだのでしょうか・・・。
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(10) 小田原に向けて去ってゆく貨物列車。編成は・・・・ネガをルーペで見てみたのですが、完全には分かりませんでした。一応、こんなものかと思われます。ED1031~ED1041~トフ110~チキ4209?~チキ34XX~ワム80000~ワム23000~ワム60000~トフ101
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 こんな辺りで撮影を終え帰宅したんだと思うんですが、ほとんど記憶がありません。

pencil-purple.gif 次回からは、しばらく書いていなかった関西ネタを含む、1959年・昭和34年の「関西~高知の旅」を書くつもりです。いま迄、このブログで断片的に発表した画像もあるのですが、一連の旅行の記録として、重複、ご容赦ください。


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小田急貨物列車1970年(上) [小田急・江ノ電・箱根登山]

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pencil-red.gif 小田急の貨物列車がそろそろなくなるとの情報が耳に入ってきました。あの、電気機関車、可愛いトフが見られなくなりそう・・・・早速、長男をお供に、車で出かけたのです。たぶん、運転時刻関係の情報も分かっていた様です。

 小田急貨物列車1970年(上) 

 白黒のフィルム一本に収められた画像のなかに、家族の写真も入っていて、二人の子供も写っています。早速、スキャンしてプリントし、我が家の女ホームズにお伺いを・・・・即刻、1970年・昭和45年の8~9月と断定。う~む、恐れ入った!! 

 先ず、現在の東海大学前駅、当時は大根駅の小田原方向に少し行ったあたりの、小さな踏切にやって来ました。あたりは、荒地状態の湿地で葦なんかが生えていました。

(1) 小田急の当時のローカルな踏み切り。我が家の長男の座っている柵は廃枕木。お隣に妙に首の長い男の子が『とまれ』のボードを持って立って居りました。バックは変電所みたいですが、今でもこの場所にあるのかしら・・・・・?
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(2) 荒地ですが、以前は田圃だったのでしょう。来ました!来た来た来た~ぁっ!電気機関車重連牽引で短い貨物列車がやって来ました。
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(3) 両の頬っぺたにすば箱をくっ付けたED1031と、一時は私鉄電気機関車のスタンダードみたいになって居たED1041が牽いて居りました。
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(4) こぢんまりした二両の電気機関車が計四挺のパンタを上げて頑張ってるなあって感じで、なかなか結構な眺めです。バックの山で、一番高く、霞んだようなのが大山ではないかと・・・・・。
 先頭のED1031の第四動輪あたりが、(1)の踏切です。
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(5) 目の前を貨物列車は通り過ぎてゆきます。トフの後ろの山は、弘法山だと思われます。
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(6) このあたりも、ぼつぼつ宅地化が始まって居りました。
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pencil-purple.gif お目当ての貨物列車が行ってしまい、場所を変えましょう。踏切まで来ると、上り電車が来た。

(7) 通勤急行新宿行の2600系6連。先頭車は2667です。向こうに東名高速道路が見えています。
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 場所を変えて、貨物列車の撮影は続く・・・・・・では、次回!!!


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昭和40年頃の小田急 [小田急・江ノ電・箱根登山]

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 お早う御座います。今日から三月です。弥生ですか・・・・春ですね。そう言えば最近、ラジオでキャンディーズ聴かないなあ。今頃の定番だったけれど、聴取者の年齢層が変わったのかなあ。
 今朝もやっぱり、何時ものように早く目が覚めてしまいました。5時でした。まあ、マシなほうだけど・・・。
 
 ・・・・・で、早速ネタがありません。昨日まで小田急だったので、今朝も小田急にしましょう。例によって何時ものように撮影データがありません。おぼろげな記憶では、たぶん昭和38年に、町田市に引越して来て、通勤に小田急を利用し始めた頃と思われます。まあ、1963年・昭和38年~1965年・昭和40年というところでしょうか・・・・・。愛機?オリンパスペン、富士カラーのリバーサルフィルムで、感度がASA10(今のISO)。残念だけどハーフ判です。
 
(1) 下りホームの小田原より先端辺りから写しています。新宿行が入ってきました。運転台窓下の白い長方形は『準急』の標識ではないかと思われます。デハ1200形がお尻同士の連結で、三両めはたぶんクハ1450形でしょう。色の加工が下手で、まるで阪急色になってしまいましたが、これほどは赤くなかった思います。行き先表示が行灯形になっています。
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(2) 2200×2+2400系4連の急行新宿行。(1)とは同じ日ではないかもしれませんが、ほぼ同じ時期でしょう。下りホームの最先端部分からの撮影。35mmのフルサイズだったら・・・と思うのですが・・・・。まだ方向幕にはなっておらず、プレートを下げています。前照灯も一灯で、オリジナルな姿の様です。わたしは、このデハ2200よりも、貫通扉つきのデハ2220の方が好きでした。
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11493065.gif 今日は、こんなところで失礼致します。

11521809.gif 東武の日光軌道線はやっとスキャンが終わったところです。明日は無理なので、間に何か挟むつもりです。それが何だかは、未だ決めておりません。
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小田急新原町田1963年(2終) [小田急・江ノ電・箱根登山]

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 お早う御座います。改修された『So-net Blog』ですが、未だに、何となく不調、早く正常動作をするようにして欲しいです。特に、改行が変なのと、動作が遅くなった事の二つが気になる。

 
 1963年・昭和38年小田急新原町田駅付近の様子の続きです。
 
 小田急新原町田1963年(2終) 

 1963年・昭和38年の、たぶん5~6月の頃、横浜から小田急を見に行きました。自宅~横浜市バス~国鉄横浜線中山駅~横浜線~原町田駅のルートで、町田市に行ったわけです。私は25歳、若かったね~、青二才ですよ、ホントに。
 
 小田急と国鉄横浜線の交点辺りで、小田急と横浜線を撮影しました。何故か遠景ばっかりで、車両写真ってのがありません。鉄道がらみの風景写真を狙っていたのでしょう。

(1) 前々回のキハ5000と1800系の写真と同じ場所です。高圧線が木柱で何となくあったかな感じがします。こういう高圧線って好きなんですよ。なんだか、一生懸命電気を送って支えているってのが・・・・・。

 ローカル風雰囲気ですね~、小田急の貨物列車。今では想像も出来ません。機関車はED1020・・・・川崎車両製で、丸窓がポイント、会社の前身が川崎造船で、船舶用の窓だったと言う噂話もあります。本当に船舶用だったら愉快なお話です。小田急の緩急車というと、砂利トム列車のトフ100を思い出しますが、こう言うのも居たのです。
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(2) (1)から視線を左へ振りますと、横浜線が見えています。手前の白線は境川の護岸で、ガードレールも金網のフェンスもありません。これが、当時の流儀でした。左の方向へ更に視線を回せば、団地も入ってくるのですが、あえて写さなかったのでしょう。

 電車は左からクモハ60~サハ17~モハ72~クハ79・・・・・ではないか?と思われます。スライドを必死になって25Xのルーペで見たんですが、電車のイメージが小さくて、こんなあたりで・・・・・。バックのスカイラインも低くて平らですね。
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(3) 2008年2月25日の写真です。境川の川べりからの写真ですので厳密には定点といえないのでしょうが、ご勘弁ください。背後は駐車場で自動車が一杯でした。よくよく見ると、横浜線の205がいますね。小田急百貨店の8Fと9Fに日除けが降りてますが、8階の喫茶室と美容室が改装中でした。はたして、あの小田急電車鑑賞に最適の喫茶室『Tea Cup』は再開するのでしょうか?しても、眺めのいい席は復活できるのでしょうか?
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(4) これは、境川の護岸の上からの横浜線です。C58のバック運転の貨物列車が、八王子へ向かいます。原町田は、このあたりの貨物の集積駅でしたから、列車もかなりの長さがありました。
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11621349.gif 電車鑑賞、撮影を終え帰宅するのですが、確か商店街でヤキソバを食べた気がします。他の日の事だったかも知れません。そんな、昔のお話でした。
 此処へ、来る途中、我が家の近くからバスで、横浜線の中山駅に向かったわけですが、途中、小机~中山間(当時、鴨居駅はありませんでした)の踏み切り(いまは、立体化)で、貨物列車に遭遇しました。列車は、小机行だったのでしょうか、菊名行だったのでしょうか、たぶん菊名行でしょう。東急東横線菊名駅の渋谷よりに貨物ホームがありました。 
 
(5) 貨物列車の機関車はC58177
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(6) 見難いので拡大しました。ピンも甘いし、ブレても居そうですが、スキャナの問題もありそうです。貨物列車は八王子側から菊名までで、東神奈川からは入らなかった気がします。
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11493065.gif これで、二回にわたってお送りした『小田急新原町田1963年』を終わります。もう、ネタ切れで頭を抱えています。何とかせねばと、昔のフィルムをスキャン中ですので、近々、ご覧頂けそうです。テーマは、東武鉄道日光軌道線1961年。
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小田急新原町田1963年(1) [小田急・江ノ電・箱根登山]

 お早う御座います。今朝は晴天だけれども北風が強烈。大雪のエリアもあるようです。前々回まで関西の話題でしたので、今回は関東は小田急のお話です。

 小田急新原町田1963年(1) 

 1963年・昭和38年のあれは何月だったでしょうか・・・・たぶん初夏頃だった気もしますが、私は横浜の市電の終点、六角橋の奥に住んで居りました。ある日、何故か小田急が見たくなりまして、横浜線に乗って原町田駅(現・町田駅)までやって来ました。当時は、小田急の駅まではちょっと離れていて、ゴチャゴチャの商店街を抜けて行くのです。小田急の駅は「新原町田」と呼ばれて居りました。その小田原側、横浜線をオーバークロスすると、直ぐに境川を鉄橋で越えるのです。その鉄橋のところで、撮影した写真を御覧下さい。  今でこそ、ビルは建つ、百貨店は並ぶなど、吃驚するほど、都会っぽくなっていますが、当時は、駅から離れていない辺りに、まだ、そろそろお終いになりそうでしたが田圃だってあったのです。

(1) 箱根湯本行の特急ロマンスカーNSE3100が行きます。当時でも、いまでも私にとって最高のロマンスカー。  鉄橋の下を通して都南自動車教習所が見えていますが、いまでは、やはり小田急の相武台前駅ちかくに移転。この川が境川で、小田急の龍宮城、片瀬江ノ島駅前で相模湾に注いでおります。河川改修が終わって流路も変えられた頃だったと思いますが、その後、もう一回、改修されているようです。その関係か、この辺りは、境川の東京側でも相模原市のところがあって、駅前のヨドバシカメラさんも、相模原市です。

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現在の様子です。ほぼ同じ場所から撮っています。(2008年2月25日) IMG_0002a.jpg

(2) (1)の対岸辺りから見ています。上りの電車は2400系の4連。この頃は、カルダン車はブルーと黄色、吊り掛け車はチョコレート色と、区分けされていたのが、そろそろ、1600形以降はツートンカラー化されつつあった時期だったようです。

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現在の様子。撮影は2008年2月25日です。 IMG_0013a.jpg

(3) 先頭の2450をアップしてみました。和服の女性が、お孫さんでしょうか・・・子供をおんぶして電車を見させています。電車はガラ空きで、新原町田止まりかもしれません。この頃は、車体側面に丸に小の字をかたどった小田急の社章が誇らしげに付いていました。

(4) (1)の側から写しています。御殿場線から来た気動車、窓の数を数えたら、どうやらキハ5000です。1850+1800とすれ違います。国鉄63ベースで車体更新の電車でした。  左端に黒く新原町田駅が見えています。白い建物は三階建ての駅ビル、小田急ストア。屋上の観覧車も写っています。この季節で、この田圃・・・・ひょっとして昨年で耕作は終わっているのかもしれません。この電車の後ろ辺りに、いまならヨドバシカメラとか丸井が写る筈です。

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これまた現在の様子ですが、これだけ変わってしまうと、もう何が何だか訳が判りませんね。 IMG_0007a.jpg

(5) キハ5000をクロースアップしてみました。御殿場線乗り入れの特別準急は「銀嶺」、「芙蓉」、「朝霧」、「長尾」とありましたが、時間帯から見て、銀嶺か朝霧のようです。

(6) 荷物電車、デニ1100(1101)が上ってきました。改造されたとはいえデハ1100形のイメージが残っています。

 こんなところで、今回はお仕舞いです。次回は、この続きです。  昨夜は、あまり寝ていないので、ボケてます。
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小田急新松田付近1963年(3終) [小田急・江ノ電・箱根登山]


 お早う御座います。2007年も、今日を含めて、あと二日になってしまいました。今年中の宿題も沢山残っているし・・・・・参ったなあ!!
 今回は、連載三回の最終回、1963年・昭和38年1月小田急新松田駅付近です。陽は既に西に傾き、箱根の山にかなり接近しておりました。たぶん、15時台だったと思います。

 小田急の新松田駅から、渋沢方面に約2km、川音川の鉄橋付近での小田急電車、今回は、「特急編」です。まだ、NSE3100登場前のSE車全盛時代のお話です。

 小田急:新松田付近:1963年(3終) 

 今回は「特急特集」って訳で・・・・・写真は6コマしか有りませんけど。

 1963年当時は、前面展望室の特急NSE3100の営業開始を、この年の4月に控え、特急はSE車3000の全盛時代でありました。種々の愛称が付いた特急が走り回っていたのです。御殿場線連絡の特急は、御殿場線がまだ電化されていなかったので、小田急では乗り入れ用の気動車を新製して、御殿場まで乗り入れ、国鉄線内では、準急扱いで、特別準急と呼ばれておりました。

(1) 逆光の箱根の山と富士山をバックに新宿行きの特急がやってきます。御殿場線乗り入れで5両化される前の八両編成時代のSE車3000です。車体のRに合わせた特急のヘッドマークをつけて、颯爽とした姿です。ヘッドマークの文字は、「湯坂」。たしか、湯本の上の方の山の名前です。

(2) 川音川の鉄橋を、カーブで渡って行きます。現在、この風景には東名高速道路が覆い被さっているのでしょう。あと、3ヶ月で、NSEが、ここを走る事になるのです。もう、この頃には3100の試運転は始まっていたのでしょうか・・・・・。

(3) 上と同じ、特急湯坂

(4) 今度は、気動車です。御殿場線に乗り入れ専用の気動車は、20m級の車体に180HPのディーゼル機関を2台積んでの強力型。キハ5000と、キハ5100の二形式が有りましたが、側面の窓が、
「d-13-D-d」
なので、キハ5000形ですね。窓と対向式クロスシートが合ってなかったと思います。
 列車の愛称は何だったでしょうか?芙蓉、銀嶺、朝霧、長尾?・・・・この時間帯だったら新宿発14:31、御殿場着16:24の「長尾」と推測されます。

(5) 特別準急長尾キハ5000は、富士山に向かって走り去ってゆきました。

(6) こんどは、箱根湯本行特急「乙女」・・・・現在の箱根湯本行特急「はこねXX号」みたいな名前でなく、箱根の山の名に因んで、いろいろと種類がありました。調べれば判るでしょうが、殆ど忘れました。あしのこ、金時、なんてのも有った気がする。箱根の『有名地名』で間に合うくらいしか特急が無かったと言う事なのでしょう。まあ、たしかに『はこね25号』とかは、覚えやすいけれど、『味』が無い気が致します。


 これで、このときのフィルムに写っている小田急画像の殆どを御覧頂きました。写真をリタッチし、ブログを書くための、参考書(鉄道ピクトリアル誌等)や、ネット調べ(Wikipedia、小田急HP)をしていても、懐かしさに一杯でありました。

 明日の今年の最終日は、何にしようかと、首をひねる時間が無さそうです。今日明日は、いろいろ雑用も入ってくるでしょうし・・・・・。まあ、なんとか、辻褄は合わせましょう。では、今日はこれまでです。また次回!!


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小田急新松田付近1963年(2) [小田急・江ノ電・箱根登山]


 皆様、お早う御座います。今朝も早起きしてしまった・・・・・5時前でした。完全に『早起きのお爺さん』になっています。早寝だったら問題無いのですが、夜更かしなので、『8時間睡眠必須の呪縛』から逃れられず、悩んじゃうわけです。主治医も23時までに寝ろと言うし、ま、何とかします!今夜は帰りが遅いから明日の晩から・・・・・。
 2007年のカウントダウンも、一つ減って、あと6日。月日の経つのは早いものです・・・・早すぎる。この歳になると、月日は全力疾走、あっという間に次のクリスマス(笑)。

 昨日からの連載三回の二回目、1963年・昭和38年1月、小田急新松田駅から、渋沢方面に約2km、川音川の鉄橋付近で撮影した、小田急電車、今回は、「吊り掛け車」です。
 現在と違って、当時の小田急は、新旧入り混じって、実に楽しかった。今も、楽しくないわけじゃあないけれど・・・・・。

 小田急:新松田付近:1963年(2) 

 今回は「吊り掛け車特集」って訳で・・・・・。

(1) 小田原方面に向かうクハ1450+デハ1200+デハ1200の各停。実に美しいなあと思います。この1200とか、デハ1400とか、好きだったなあ・・・・・。1200は記憶が無いのですが、1400の下降窓はバランサが付いていた記憶があります。このシリーズは、経堂に教習用として置いてあった1400はともかく、最後までチョコレート色だった気がします。

(2) (1)と同じ電車。富士山を入れて写してみました。画像のサイズが小さいと、見栄えしませんね。しかし、実にのどかな風景だなあと思います。でっかい画像にしたいなあと思いました。しかし、このブログでは500pixel辺りまでしか入れられません(たしか、スクロール画面になる)ので、うちのホームページに1,024pixelの画像を置いてリンク使用と思ったんですが、ちょっと大変なので・・・・・済みません。

(3) 小田原方面からやって来たのは、各停運用のデハ1800+クハ1850。すでに車体更新が終わって、カッコ悪いんだか、スマートなんだか良く判らない形になっていますが、モハ63のイメージはたっぷり残っています。

(4) (3)の1800+1850のサイドビュー。

(5) 今度の上りはデハ1900+クハ1950が2ユニット。どうやら、急行運用です。現在のこの場所、すでに家並みで埋まっているんだろうなあって思うのですが、こんど小田原に行ったときにでも、じっくり見てきたいと思うのです。

(6) (5)に同じですが、ちょっと気どって、陽の光の反射を・・・・・・。

(7) (5)(6)の1900系4連の急行ですが、時は移り、現在は10両編成。機能としては向上しているのは間違いないのですが、私には、味が薄いなあと思われるのです。この4連が、小田急だよなあと思ってしまう・・・・。

(8) 小田原方面に向かう回送電車1600系の4連で、1653が先頭。

(9) 昨日、コメント頂いた回送のヘッドマーク。このときは「迴」でもなく「廻」でもなく「御覧の文字」でした。こんどは、私のPCのMS-IMEでは、手書き変換出来ませんでした。JISに無いのかもしれません。
 あれれれ・・・・、後ろの3両目、パンタがこっち向きで1600だと思うのですが、車体の色がツートンカラーに見えますね。当時、ツートンカラー化が始まっていたのか、如何だったのか、光線の具合なのか・・・・・調べる時間も無いし、???で放置してしまう・・・・・ゴメンナサイ。

(10) デハ1200+デハ1200+クハ1450の各停が来ました。ネガを見ても、120までは確認できても、一の桁が読めません。行先は四文字で、「文字の感じは新原町田」


 今日のところは、これでお仕舞いです。次回は「特急」です。 



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小田急新松田付近1963年(1) [小田急・江ノ電・箱根登山]


 皆様、お早う御座います。もう七つ寝るとお正月です。早いものですね・・・・このブログも開設以来、二度目のお正月を迎える事になります。一年と8ヶ月、早いといえば早かったなあ。

 今日から三回の連載で、今から44年昔、1963年・昭和38年1月小田急の新松田付近での画像を、お届けいたします。

 当時、横浜の神奈川区に住んでいたので、小田急は、それほど縁があったわけではありません。が、その年、1963年の夏、現在居住の町田市に移住してきました。それ以来、44年、小田急さんとは、日常生活に、趣味に、切っても切れないご縁と言う事になりました。この写真を撮ったときには、町田市に住むことになろうとは、これっぽっちも考えていなかった頃なのです。

 学生時代からの鉄道趣味仲間の方たちと、伊豆方面で新年会、その戻り道で、午後も遅い時間に、ここ小田急新松田駅から、渋沢方面に、道なりで2km弱、川音川に架かる小田急の鉄橋付近までやって来ました。この日、ここに至るまでの間に、御殿場線とか、いろいろ撮りながら来た筈なのですが、そっちのフィルムは何処へ入ってしまったのやら・・・・取り敢えず、小田急の一本のフィルムの中から・・・・・。

 小田急:新松田付近:1963年(1) 

 今回は、その中から、当時最新の高性能車、HE車(ハイ エコノミカル カー)と呼ばれた、デハ2400のファミリーです。小田急の高性能車は、2200、2300と、オールMの構成でありましたが、この2400シリーズは、MとTcとなりました。中間電動車のデハ2400は19m強、制御車は16m弱と、同じ3扉ながら、車体長が異なる、Tc-M-M-Tcの編成で1ユニットになっておりました。従来の吊り掛け車の4両編成と長さを揃えたとか、動力車の効率の問題とか、いろいろとあるようですが、異色の組み合わせでありました。
 次代の通勤電車、デハ2600のNHEファミリーの登場は、1964年・昭和39年、オリンピックの年のことでしたから、通勤に、箱根急行に、花形の時代でありました。特急用の電車はSE車、デハ3000の大活躍時代であり、前面パノラマ客室のある、デハ3100NSEの登場が、この年の4月、営業開始となる。そんな、頃のお話です。

(1) 新宿行き急行、先頭はクハ2481でし。この、丸に急と赤書きしたヘッドマーク、もう、ぞくっと来るような素晴らしさであります。

(2) (1)の新宿行き急行の後姿で、クハ2482。後年、このバックに、東名高速道路の大橋梁が掛かることになるのです。

(3) 今度は、箱根湯本行きの急行です。先頭はクハ2470です。

(4) これは、(3)とは異なる列車で、下りの各停運用のHE車。川音川の河原からの撮影。

(5) 同じ列車ですが、富士山の入る良い場所に来ました。

(6) 上りの電車ですが、列車種別はわかりません。

(7) クハ2452は箱根湯本行き急行。

(8) 時刻は何時ごろだったでしょうか・・・・日はかなり傾いて箱根の山に掛かりそうになっていました。たぶん15時台だったと思われるのですが。

 この頃は、こうした、なんだか『素晴らしい鉄道写真を撮るんだあ!』なんて、気負っていたみたいな気がします。その割に仕上がりは平凡だったので、ガッカリした記憶も少々。

  次回は、吊り掛け車を並べましょう。では、また・・・・・・!!!


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小田急新宿駅あたり1954年 [小田急・江ノ電・箱根登山]

 このブログ、基本的には鉄道の話題に限定しているので、毎日は、新鮮なネタは難しい・・・・と、いうか私の現況では不可能といえそうです。
 ・・・・・で、今日も、昔噺です。またも、小田急1954年・昭和29年10月のある日、高校時代、鉄道にちょっと関係ある部に入っていまして、文化祭のネタに、東京の私鉄を回って写真を撮りました。その中から「小田急の新宿駅」、厳密に言えば、新宿駅の南端部。

 小田急新宿駅あたり1954年 

 小田急の新宿駅は、当時は全部が地平にあって、いま、線路数も何も、殆ど思い出せないけれど、あんまり綺麗じゃあなかった。その小田急新宿駅ホームを発車すると、複線になり、甲州街道の下をくぐるのです。くぐって直ぐの右側には、ささやかな貨物ヤードがありました。小さな貨物ホームもあったのです。そんな辺りの写真を二枚。

(1) ローカル電車が到着です。形式デハ1100の1107で、Mc-Tc-Mcの三両編成。何処から来たのか読み取れませんが、向ヶ丘遊園あたりでしょうか・・・・・。運行番号をつけてますね。
 左端に貨物ホームが写ってますが、電気機関車ED1010形が休んでおります。

(2) で、貨物ホーム部分を拡大してみました。ナンバープレートはボケちゃってますが1012と読めないでもありません。写真中央の甲州街道陸橋の下をくぐって、新宿駅になります。

(3) 急行の箱根湯本行が発車してゆきます。デハ2002を先頭に、デハ2000-サハ2050-デハ2000の美しい編成です。この形式はクロスシート車で、サハにはトイレもあったのです。
 (1)(2)の写真の電気機関車辺りから写していますね。線路が三本写っていますが、一番右の線路は、国鉄線への連絡線です。ちゃんと架線まであります。

(4) 部分拡大してみましょう。甲州街道陸橋の奥に新宿駅のホームが見えています。エプロン姿のお祖母ちゃんが、孫を遊ばせているようです。現代の新宿とは思えない、のどかな風景ですね。


 このときは、一日で東京の私鉄を回ったものですから、ここではこの二駒しか写して居りません。なにしろ、京浜急行、京王帝都井の頭線・京王線、小田急、西武新宿線、東武東上線、京成、営団地下鉄銀座線・丸の内線。今だったら、とってもできませんね。十代だからこそ出来た『暴挙』ですね(笑)。
 何故か東武の伊勢崎線、乗ったはずなのに写真がありませんし、東急は立ち寄っても居ません。きっと、手持ちの写真があったか、部の仲間が撮ったあったのでしょう。


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