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都電小景1965(2/4)霞ヶ関 [関東の私鉄と公営鉄道]

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pencil-red.gif 前回の都電が好評だったので、都電の写真を続けます。まだ、東京都電も元気で、「14系統」と「26系統」を除く「1系統」から「41系統」までが運行されていた頃のお話です。全4回として、今回が二回目と云う事に・・・・。
 1965年・昭和40年11月3日・水曜日・文化の日、友人たちと、都電を撮りにお出掛け、港区・虎ノ門の交差点から~霞ヶ関~桜田門~祝田橋と歩き、その後、亀戸へ飛び、水神森から竪川の橋梁、そして南砂町三丁目と、巡りました。

pencil-green.gif 今回は「霞ヶ関」の写真を何枚か・・・・・。

 都電小景1965(2/4)霞ヶ関 

(1) 8系統・中目黒行の2000形2020。広尾車庫の所属。この細身の姿は好感持てますね。左の建物が大蔵省、次が外務省で、その向こうの黒っぽいのが人事院(ホントは茶色のタイル貼り)。
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(2) 虎ノ門から、霞ヶ関、桜田門を見ています。赤坂見附が高速道路だったかの工事で、9系統と10系統がルート変更となり、9系統は虎ノ門を通るようになりました。そのための、線路が左に分かれています。そこが安全地帯。
 8系統中目黒行の1200形1206がやって来ました。
 左奥の人事院の向こうに警視庁が見えています。右は、手前が通産省、向こうが農林省だったかな・・・・?
 休日で、地域も地域ですが、道、空いてますね~!!
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(3) (2)の桜田門寄りあたりでしょうね。右の黒っぽいのは何だったかなあ?郵政関係だった気もするが、だいたい、用事の無いところだったので、記憶なし。
 電車は9系統の渋谷行・7500形7515ですが、方向幕が渋谷駅xxxxと、右半分が判読できないんです。なにしろ、あの、コダックインスタマチックの20形だったかな?ともかく、最初、何台か売り出された中の一番安い機種なので、ピントも良くない。これだけ写れば上々で・・・・。
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pencil-blue.gif 今日は、こんなところで、次回は亀戸に移動しましょう。


coffee.gif pen-pc.gif 今回の撮影行では、モノクロ30駒、カラー数駒を撮影したのですが、近々、ホームページとしてアップロードしようと思っています。ブログの隔日更新で、時間も出来ましたので、マジメにホームページの更新に努めたいと思うのです。


タグ:東京都電

都電小景1965(1/4)桜田門 [関東の私鉄と公営鉄道]

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pencil-red.gif 今回は、東京都電です。まだまだ、東京都電も元気で、「14系統」と「26系統」を除く「1系統」から「41系統」までが運行されていた頃のお話です 1965年・昭和40年11月3日・水曜日・文化の日、大学の鉄道研究会時代からの友人たちと、都電を撮りにお出掛けしたものです。
 
先ずは、港区は虎ノ門の交差点に集合、虎ノ門~霞ヶ関~桜田門~祝田橋と歩き、何処を如何通ったか、ともかく亀戸の水神森から竪川の橋梁、そして南砂町三丁目と、三箇所を巡りました。
 今回は、その中から、桜田門での4駒のフィルムから、ブログの1ページを書いてみました。

pencil-green.gif 虎ノ門から霞ヶ関を通り、桜田門の交差点へやって来ました。

 都電小景1965(1/4)霞ヶ関 ■

(1) 11系統の5000形5002が築地方面に向かいます。張り上げタイプの屋根になっています。改造でドアが前と中の二箇所になっています。
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(2) これも、5000形で、5016。屋根は普通の屋根で、三枚ドアが前後の二箇所になっています。11系統で方向幕は月島の文字が読め、文字数も多いので『月島通八丁目』でしょうか・・・・・。左右のタクシーはセドリック。
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(3) (2)の電車部分を拡大してみました。5000形は張り上げより、このタイプの屋根の方が似合うようです。左端の白い車はジャガーでしょうか?その前のお尻だけの車は、コロナかな?
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(4) 11系統の築地行。8000形の8122です。窓の大きな明るい直線構成の近代的ボディでしたが、何故か、走行時の騒音が大きいと感じました。内台枠の台車の所為かなあ・・・と、思っていました。日比谷交差点のビル群が聳えていますが、このなかの何棟が残っているのでしょうか?右端の法曹会館は健在かしら・・・・?
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(5) (4)の電車部分を拡大。トヨペットクラウンのタクシーが懐かしいけれど、右側の日産キャブオールらしい商業車が懐かしい。
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(6) (4)と同じ場所。中目黒行の8系統、2000形2016。2000形は目黒だけでなく、広尾にも居たんですね。
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(7) ちょっと歩けば祝田橋の交差点。お堀の向こうに第一生命の改築前の姿。左側の工事中は帝劇でしょうか。コダックのインスタマチックのプラスティックレンズの安物カメラ・・・・たしかインスタマチック50だったと思う・・・・で写しました。フィルムはエクタクローム。都電が居ますが形式が判らない。
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(8) ・・・・で、拡大して見ました。どうやら1200形の車体延長タイプ、1500形か?と思われますが如何なものでしょう?
 Wikipediaで見ると1500形は錦糸堀所属だったらしいのです。そういえば、ここは25系統(西荒川~日比谷公園)が通ってました。三井ビルと三信ビルの間に25系統の停留所がありましたが・・・・・・。
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coffee.gif 今回は昭和40年の都電の姿をご覧頂きました。


タグ:東京都電

伊豆箱根大雄山線1964年(5終) [関東の私鉄と公営鉄道]


 お早う御座います。1964年・昭和39年の3月20日・金曜日・春分の日伊豆箱根鉄道大雄山線に乗りに行ったのです。10月には東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業する年のことです。大雄山線に乗り、写真を撮り終えて、小田原まで戻ってきました。まだお昼前でありました。これから、東京へ帰ろうと言うのです。

 伊豆箱根鉄道大雄山線1964年(5終) 

 一寸の間、国鉄ホームで、やってくる列車を写しました。

(1-1) 11時44分、修学旅行電車使用の、上りの準急ながら号が来ました。クハ159-2が最後尾について居りましたが、後ろから4両めのサロはステンレス車、153-900番台かなあ?と思うのですが、車体断面形状が違うようにも見えます・・・・・如何でしょうか。

(1-2) 上の、問題の車両部分を拡大してみました。二等車の形式同定の資料になりますでしょうか?

(2) 11時50分、EF5819の牽引する上り普通列車146レが来ました。

(3) (2)の146レです。小窓のずらりと並んだ、スハ32・・・・好きだなあ!!

 国鉄の画像はこの三枚だけで・・・・・。


 小田原から私の住んでいる町田市に戻るのですが、特急ロマンスカーに乗ってしまいました。3100のNSEです。最後部の展望席は空いているようです・・・・そんな記念写真が同じフィルムにありました。新原町田駅は、当時の特急は停車しませんので、新宿までMOさんと乗っていってしまいました。
 何時発の何号だか覚えていませんが、12時ごろだったらしい。

(4) その我が町!町田市の新原町田駅通過のシーンです。当時の事ですから、いまでは線路を跨いで、ドッカーン!と建てられている駅ビル、小田急百貨店もなく、こんな感じ。左側は三階建てのささやかな駅ビルで小田急ストアが入っていました。屋上には小さな遊園地があって、ミニサイズの観覧車もあったのです。生活用品食品、そして名店街。
 下りの退避ホームにはデユニ1000が停まっております。いまでは、この踏切を通るバスはありませんが、当時はバスが横断して国鉄の原町田駅まで行っていたのです。踏切待ちの神奈川中央バスが見えますね。

(5) 新原町田駅の駅ビルを拡大してみました。流石は東京オリンピックの年!『オリンピック みんなで明るい町づ・・・・』の垂れ幕が見えます。ここのストアでいろいろと買い物をしたことなど思い出します。小田急の改札を入ると直ぐ右側にトイレがあり、何故か扉が無く、薄汚れたカーテンが掛かっていました。いま考えると嘘みたいな光景でした。

(6) もう少し走って、百合ヶ丘駅に掛かるところです。新百合ヶ丘駅も無かった時代の事です。いまでは、真正面に見える山も森も開発で切り崩されて、この頃を想像も出来なくなっています。


 新宿に着いたのは13時過ぎだったと、同行の友人、MOさんのお話です。そして、新宿で如何したのか、記録も写真もありません。

(7) 次の駒に写っているのは、雨の下北沢駅の下りホーム、特急通過のシーンです。すでにホームの水銀灯も点いていて夕方ですね。果たして、この日の撮影だったかどうか、確証・記憶も無いのですが、まあほぼ間違いの無いところでしょう。
 SE車3000のお通りです。ここの眺めも変わりましたが、地下化工事も進捗しており、何年か経ったら、何処が如何だったか、訳が判らなくなっている事でしょう。


 5回に亘ってお送りしてきた、伊豆箱根鉄道大雄山線のルポを今回でオシマイと致します。御覧下さって有難う御座いました。

 次回からの企画も、ほぼ出来上がり、画像のスキャン・加工・編集の作業を行っています。何が出るか・・・・ちょっとだけ期待してください。
 これから、所用でお出掛けです・・・・・では、また!!


伊豆箱根大雄山線1964年(4) [関東の私鉄と公営鉄道]


 近所の道を車で走っておりますと各所で梅の花。赤白とりまぜて賑やかになってきました。昨日、2008年2月11日・月曜日・建国記念の日、は良いお天気。午前中から夜まで、相模原、座間方面に出張して居りました。


 その、相模原・座間へ行く前に、先だって入れ替えた携帯電話の性能確認で、小田急見物の何時もの場所へ・・・・。
 今度の携帯電話は、200万画素のカメラ機能付きで、以前の機種が100万画素だったので少々期待。
 そして、・・・・・○| ̄|_・・・・・まあ、こんなもんか。
 ま、気持ちはデジカメつき携帯電話というよりも、電話つきカメラを望んでいるわけで・・・・。矢張り専用機だなあ!デジカメは現用の本務機キャノンG9と、補機IXY320があるので、増備計画は無いのです。

(A) 1024×768から480×360にリサイズ。近距離だと、いいみたい。

(B) 1280×960から480×360にリサイズ。半逆光には弱いのかなあ。そして遠景にも弱いみたい。だけど、カメラの距離設定は接写と近距離だけ・・・・そういう設計らしい。アジャストすることも出来そうなので、今後の検討課題。

 まあ、晴天時の数人対象の記念撮影用として、Lサイズプリントというところでしょうか。


 さて、本題です。
 1964年・昭和39年3月20日・金曜日・春分の日伊豆箱根鉄道大雄山線に来ました。大雄山駅構内で、留置中の電車を短時間で撮影し、これから、次駅、富士フィルム前に向けた歩き出す。

 伊豆箱根鉄道大雄山線1964年(4) 

(1) 右側のとんがった山が、あの金太郎伝説の金時山・1,231m・・・・だと、思う・・・・と、少々自信が無い。電車が右の大雄山駅を出て、左、小田原へ向かいます。お椀形のベンチレータをつけた、西武っぽいMc+Tc電車ですが、買収国電かもしれません。資料も無いし、あまり追求しません。(済みません!)

(2) (1)の電車の後姿ですね・・・・・。昨日、Googleの航空写真を眺めて居りましたが、このあたり、田畑は消え、すっかり住宅地。

(3) 富士フィルム前駅付近の元・国電らしき電車。左はモハ50~モハ11400っぽいですが、右は元国電では無さそうな気がします。この右の方に富士フィルム前駅がある筈です。

(4) 富士フィルム前から、電車に乗って、二つ目の塚原駅で下車しました。季節には鮎釣りも出来る狩川です。電車は、良く判りませんが、たぶん、モハ30かモハ20なのでしょう。

(5) すこし大雄山方面に歩き、小学校がありました。田圃が広がっています。電車はさっき富士フィルム前で写した電車らしく思われます。

(6) これまた、先ほど写した、(1)の西武っぽい電車が戻ってきました。

(7) 春分の日で国旗が出ています。箱根の山を背景に、のどかな小学校って感じですが、現在は如何なっているのでしょう。

(8) 左側が、(7)の小学校です。右方面は一面の田圃。遠い丹沢の山には白いものが見えています。3月20日ではありますが雪かもしれません。GoogleMap航空写真で見ると、この辺の田圃は残っているようです。電車はモハ33です。

(9) (8)の場所で、こんどは小田原行きのモハ21

(10) 塚原駅の筈ですが狩川の鉄橋と駅の位置が現在とは違っているようです。まあ、名違いは無いと思います。(8)のモハ33が大雄山から小田原行になって戻ってきました。

 この小田原行き電車に乗って、11時半ごろには、小田原駅に戻ってきました。これだけ撮り歩いて、3時間台、しかも東京から近い。私の住んでいる町田の駅からロマンスカーで、約40分、これは行かないわけには参りません。小田原で美味しいお昼ご飯も食べて、箱根湯本で温泉饅頭のデザート。ロマンスカーで帰ってくるなんて、コースを考えてしまいました。問題は、何時腰を上げるかなので・・・。


 ・・・・と、言う事で、今回の伊豆箱根鉄道大雄山線撮影回は終了。次回は、小田原駅と新宿に向かう小田急の写真を少々。
 では、また、次回にお目にかかりましょう。


伊豆箱根大雄山線1964年(3) [関東の私鉄と公営鉄道]


 お早う御座います。毎度の、鉄道ジジイ:む~さんです。あの雪も殆ど消えて、日陰に少々残る程度となりました。冬の寒さがこたえる歳になりました。まあ、40歳前半くらいまでは、雪降る乗合釣り船で一日、釣りしていてもへっちゃらだったんですが、その後は下り坂で・・・・・(笑)。

 1964年・昭和39年3月20日・金曜日・春分の日伊豆箱根鉄道大雄山線に来ています。昨日は大雄山駅風景まででしたが、今回は、大雄山駅の構内に居た電車たちです。

 伊豆箱根鉄道大雄山線1964年(3) 

 大雄山駅・・・・それ程は広くは無い構内には小規模ながら工場もあり、地方私鉄の拠点って雰囲気に満ち溢れて居りました。同行の友人MOさんのデータによりますと、大雄山には、8時半前頃までに到着し、それ程長い時間は居なかったようですが、15分位の間に、撮りまくったらしい。

(1) モハ30形のモハ34、元省線電車のデハ6270なんだそうで、大正前期の東京の電車としては、わりと普通の形だったらしく、ポール集電、バッファ&スクリューカプラーだったようです。窓配置とか、ステップ撤去とか、かなりの外観上の改造はあるようです。

(2) 同じくモハ34のサイドビュー。勿論、ダブルルーフだったこの電車、雨漏り対策なのでしょう、キャンバスで改修してあります。

(3) モハ34の横顔。

(4) モハ36なのですが、すでにパンタも外されて、駅構内の端っこに居ました。

(5) モハ30形モハ37・・・・入れ替え中。

(6) モハ20形のモハ21。元省線電車のデハ6280形だそうで、何処が如何違うかわかりません。この頃の鉄道車両の定番、トラス棒が、今見ると美しくさえ見えます。

(7) これも元国電で、モハ40形のモハ47。飯田線・・・・三信鉄道から来たらしいのですが、2ドア車に扉を増設。窓の配置が、『d2D4D5D2』とアンバランス。

(8) 台車がありました。何処へ行っても見ることの出来た米国ブリル社製の27MCB??とは思いますが、如何なのでしょう。まさか、コピーでは無いでしょうが・・・・。

(9) 無蓋車二両・・・・ト1形のト5とト3で、如何にも私鉄の貨車!って感じです。バラスト輸送など、保線用か何かに使うのでしょう。

(10) こっちは、ト1形のト6・・・・可愛いですね~。

 大量の木造車に回り逢えてご機嫌だった事でしょう。このあと、撮影しながら、次駅『富士フィルム前』駅まで歩き、さらに小田原方面に向かいました。そのときの写真は、次回に・・・・・。 


伊豆箱根大雄山線1964年(2) [関東の私鉄と公営鉄道]


 お早う御座います。昨夜、降っていた雪も上がって、道路上の行きも消えています。今日、用事で出かけるのですが、安心して車を運転できるようで一安心。雪道は怖いのですよ、私は。

 2月の更新皆勤賞は途切れちゃいました。何となく、一日落としてしまいましたね。画像の準備も、ちゃんとやってたのですが・・・・一日抜けたくらいで落ち込んじゃあいけませんね。『ま、いっかぁ!?』と、気を取り直して、書いてゆきましょう。

 1964年・昭和39年3月20日・金曜日・春分の日伊豆箱根鉄道大雄山線に乗ろうと、やって参りました。小田原駅でちょっとだけ、電車見物・撮影ののち、大雄山に乗り込みまして、出発です。乗った電車?何だったんでしょう。

 伊豆箱根鉄道大雄山線1964年(2) 

(1) 8時過ぎの電車で、終点の大雄山を目指し、9.6kmの旅の始まりです。二つ目が交換施設のある五百羅漢駅。線路の脇にこんな車体。形式モハ30の31で、ドアに書かれた文字は『手動』。大正時代の国電、デハ6270なのだそうで、雨漏り対策なのでしょう、ダブルルーフの屋根にキャンバスを張って、擬似丸屋根のなっています。

(2) 五百羅漢駅での交換風景。小田原行きの電車はモハ40形の45。丸屋根にお椀形の通風器は、西武のものかと思ったら、買収国電らしい。バックの築堤は小田急(右が新宿)。 私たちの乗った電車は形式は不明ですが、木造車ではなさそうです。この時点で8時17分

(3) 行程の中ほどの交換駅、相模沼田駅8時23分、入ってきた小田原行きは、モハ30形33で、まだまだ、大活躍の木造車。昭和20年代末に東海道の列車の窓から見た電車は、この30形がポール集電で走って居りました。

(4) 終点の大雄山駅風景。側線には沢山の現役退役とりまぜて留置してありました。出発してゆく電車はモハ20形2Xで、右へ、モハ34、モハ32です。大雄山最乗寺といえば、天狗さまですが、このお煎餅屋さん、ご盛業中だと思いますが・・・・・・、局番の無い電話番号が時代ですね。

(5) 電車が入って来ました。場内信号機の腕木が下り、運転台には運転士らしき影が、画像のコントラストを大きくすると見えます。カメラのブレも少しあってナンバーが読めません。

(6) 大雄山駅の全景です。ところが、駅本屋の正面写真がありません。電車ばかりに眼が行って周辺の事なんか眼に入りませんでした。反省(・・・・今頃、遅いけど)。電車は左から、32、34、21?、47です。右端の47は、三信鉄道由来の電車のようで、二扉を三扉に改造したとの事で、窓配置が前から『d-2-D-4-D-5-D-2』と、アンバランスになっています。

 大雄山駅に着きまして、辺りを見回した後は、停めてあった電車を、一つ一つ、写しています。個々については、次回に御覧頂く予定です。


伊豆箱根大雄山線1964年(1) [関東の私鉄と公営鉄道]


 こんばんわ~!今日は、色々有りまして、こんな時刻・・・・夜、21時の更新となりました。今日は良いお天気でちょっと暖かく、過ごしやすかったのですが、明日は悪くなり、我が家近辺でも、雪なんて事になりそうな気配です。

 1964年3月20日・金曜日・春分の日の事でした。今から、44年も昔のお話は、朝の小田原駅の小田急のホームから始まります。小田原で待ち合わせたのか、一緒に来たのか、完全に忘れてますが、ともかく、友人のMOさんと二人、小田急の小田原駅のホームに居りました。

 伊豆箱根鉄道大雄山線1964年(1) 

(1) 小田急の電気機関車ED1030形1031が居ました。お顔の頬っぺたに三角形の砂箱、そして梯子をつけた箱型の電気機関車。

(2) (1)のED1031を新宿方から写しました。

(3) 国鉄東海道本線の下りホームに居ます。木造車三連の伊豆箱根鉄道大雄山線の電車が出て行きます・・・・たぶん、出て行く場面だと思われます。国鉄の二つの信号機が見えますが、右の信号機の奥手に、たぶん大雄山の場内信号機らしき二連の腕木式信号機が見え、フィルムをルーペで見ると両方とも腕木が水平に見えます。電車のナンバーの方は判読できませんでした。

(4) 一方、国鉄東海道本線の方は、EF5856牽引の上り旅客列車。寝台車が見えますので、たぶん急行列車です。同行のMOさんのメモによりますと、7時52分撮影との事で、この列車、東京着は9時台になりましょうか・・・・。以後、時刻データは、MOさんから教えて頂きました。感謝。
 電気機関車の右遠方に箱根登山鉄道の電車が写っています。

(5) 下りの特急こだま号が来ました。8時の撮影なので「第一こだま」でしょう。クロ151、絶頂の時期ですね。あと、6ヶ月で、新幹線に「こだま」の名を譲って引退という事になるのです。

(6) 小田急の荷物・郵便合造車デユニ1002が入れ替え中。たぶん、東海道本線の上りホーム上からの撮影と思われます。


 国鉄小田原駅構内で、少しの間、うろうろしていたようですが、やがて、大雄山線の電車に乗ったようです。そのときの写真は、次回に・・・・・。


東京都電1966五反田目黒(6終) [関東の私鉄と公営鉄道]


 今から42年も昔のお話です。1966年、昭和41年、私は28歳、若かったねぇ。東京都電の4系統5系統を写しに行きました。両系統ともに1967年・昭和42年12月10日、廃止という事になりました。鉄道愛好の友人KKさんと、山手線の五反田から清正公前までの4系統と、清正公前~目黒駅前の5系統、計3.6kmを撮りながら歩きました・・・・と、フィルムの画像から判断されます。40年も経つと、その辺りがかなりと言うか、完全にぼやけております。先日も書きましたが、老人力、益々の充実加減、益々大発展であります。
 今日は、このシリーズの最終回・・・・・。

 東京都電1966年五反田目黒(6終) 

 東京都電の4系統を、五反田駅前~白金猿町~二本榎~清正公前と来まして、ここから5系統清正公前~日吉坂上~白金台町~上大崎~目黒駅前で、今回のツアーはお仕舞いというわけです。1966年・昭和41年9月15日・木曜日・敬老の日の事でありました。

(1) 上大崎電停から次の目黒駅前の終点まで、地図で測りましたら、僅か330mしかありません。という事で、目黒駅前に到着してしまいました。三両の待機中の電車は、左から1042、2037(たぶん)、1050です。左端の重厚な木造建築物は何時頃のものでしょう。カメラ屋さんのようです。二代目ブルーバードとか、グロリアのタクシーが写りこんでいます。

(2) 目黒駅前電停で、到着した8000形8073からお客さんが降りています。目黒車庫では、7000形7052が待っております。

(3) 目黒車庫の中が見えています。左が8073、7052の後ろの電車は8000形。

(4) 国鉄山手線の目黒駅、なにやら工事中。工事に掛かる前の状況の記憶が無いんですね、私には。更に現在では、東急目蒲線の地下鉄南北線直通とか、いろいろあって、もう訳が分からなくなりました。チャンスを作って一回、視察してこなければなりませんね。そのときには、白金台町~清正公前あたりを眺めてみたいものです。
 左側の山手貨物線を、D51やD52が、長い貨物列車・・・・今と違って、各種の貨車混成で・・・・を牽引して、時には砂撒きをしながら、黒煙を吹き上げ、恵比寿に向かって喘ぎながら登って行った昭和20年代の末を思い出します。山手線の目黒駅のホームから眺めていると、ドラフト音が左右の壁面に反響し、凄い眺めでありました。今では、各種の電車が入り乱れて走っておりますね。貨物列車もたまには通りますけれど、様相が全く変わりました。そんな写真も撮ってないという有様ですが・・・・。
 真正面には、恵比寿のサッポロビール会社の煙突が見えています。ここだって、無くなっちゃいまして、ご承知の恵比寿ガーデンプレイスと化しました。

(5)  (4)のサッポロビール方面を拡大してみました。ギリシャだかローマだかの古代戦士の兜みたいなのがてっぺんに付いた煙突が懐かしい。手前の鉄骨アーチの橋は未だ有るようです。

  6回にわたって連載してきたこのシリーズも今回で終わりです。例によって、次回からの企画も決まっておらず、取り敢えず悩むんだろうなあ・・・・・・。ま、例によって何とかなっちゃう事と思われますが、ま、何とかしますので、覗きにおいでください。


東京都電1966五反田目黒(5) [関東の私鉄と公営鉄道]


 1966年、昭和41年、私が28歳の夏のことです。都電の4系統5系統を写しに行きました。カメラは多分、ミノルタSR-1の古い方のタイプでした。同好のKKさんと、山手線の五反田から清正公前までの4系統と、清正公前~目黒駅前の5系統、計3.6kmを歩いたようです。

 東京都電1966年五反田目黒(5) 

 1966年・昭和41年9月15日・木曜日・敬老の日。日吉坂を登って、絵に描いたような昭和の商店街+都電風景の中に居ります。今回は、日吉坂上電停付近から、首都高速とクロスする上大崎電停までです。

(1) 日吉坂上から白金台町あたりの商店街?と思われます。今となっては現地に行っても、何が何だか判らなくなっていると思いますが、確認に行きたい気も致します。一昨日、銀座に行く途中で寄ってみようとは思ったんですが、結局は行きませんでしたので、未練が残っています。電車は1000形1037。左端の二代目ブルーバードは西洋の有名デザイナーのかかわった車体と聞きますが、何となく好きになれなかったのです。会社で、このタイプのワゴンに乗ってたんですが・・・・良い車なんですよ、確かに、でも・・・・。

(2) 3000形3212です。タクシーはセドリックなんですが、電車の手前のスマートな欧州風車体は何でしょう?

(3) 荻窪線から来た2000形2024、(2)の3000とそんなに違わない形みたいですが、細面なので実に格好よく見えます。左に写っている日野コンテッサ1300、これは好きな自動車でした。2ライトでリアのラジエータグリルが鍍金でないタイプが特に好きでした。今見れば懐かしい眺めですが、まあ、普通の街風景ですね。

(4) 上大崎の首都高・陸橋下あたり、永代橋行の1100形1113

(5) 目黒行1000形1050

(6) (5)の1050が首都高をくぐって、目黒駅方面に向かいます。

 次回は、このシリーズの最終回、目黒駅前です。今日は、これまで。


東京都電1966五反田目黒(4) [関東の私鉄と公営鉄道]


 1966年夏、いまから40年以上も昔の事なのですが、そろそろ廃止お話のある東京都電、その4系統5系統を少し写そうと、同好のKKさんと、山手線の五反田から高輪・白金を回って目黒まで回ったときのお話の四回目です。乗ったか歩いたか記憶が定かでないのですが、地図上の距離は3.6kmしか無いので、多分、都電に乗ってはいないでしょう・・・・そんな気がしてきて居ます。
 さて・・・・五反田から4系統、白金猿町~二本榎~清正公前と来ました。今回は、この清正公前、現在のシェラトン都ホテル東京の前辺りから、目黒方面への坂道「日吉坂」を登ります。
 永代橋から京橋~日比谷~赤羽橋~古川橋~魚藍坂下~清正公前と走ってきた5系統の電車は、清正公前~日吉坂上~白金台町~上大崎で、目黒駅前で、国鉄山手線目黒駅に至っています。

 東京都電1966年五反田目黒(4) 

 1966年・昭和41年9月15日・木曜日・敬老の日のお話です。お天気は良かったようで、今回の「日吉坂」は坂下から坂上方面が逆光のタイミングでした。ブログ用にスキャン、フォトショップでの加工をしていて、つくづく逆光の写真って難しいなあと思います。

(1) 清正公前から目黒に向けて歩きます。現在、シェラトン都ホテル東京のある辺りを過ぎて、電車道は日吉坂にさし掛かってきました。逆光の坂を永代橋行1100形1114が坂を下って参ります。

(2) 目黒行1100形1102が坂を登って来ます。左端遠景の三角屋根の洋館は今でも残っていて欲しいものですが・・・・・。

(3) いくら祝日とは云え車が少ないのに驚きます。東京にもこんな長閑な電車道があったんですね。電車は1100形1102の目黒行。当時、いろいろなメーカーで作っていた軽三輪ですが、この車はマツダT-360でしょうか・・・・健気な働き者って感じに見えます。 

(4) 目黒行の1121、車内は空いておりますが、さらに、道路には人影が二人。この場所にしてこの眺め、元日の早朝のような、まるで夢の中に出てくるような・・・・・。

(5) 1121が遠ざかる。左の自動車は『いすず』の『ベレル』でしょうか・・・・ディーゼルエンジン搭載車がタクシーで多用されていたのは、この頃だったでしょうか・・・・なんだか、自信のない記述。

(6) 日吉坂の頂上付近、たぶん右側が八方園。電車は永代橋行きの3214。並んだ商店の建物が素晴らしい眺めです。最近ご無沙汰ですが、現在の眺めは如何と、日吉坂も含めて、歩いてみたくなっている私です。

(7) 日吉坂上の電停です。如何にも『昭和』って眺めです。右側にお風呂屋さんらしき煙突がありますが、Yahooの地図では、現存するかどうか、よく判りませんが、右端の看板の瑞聖幼稚園は瑞聖寺の境内に記されています。
 電車は狭軌の14系統荻窪線から来た2000形2024、細面のスマートな電車です。


 今日は、ここまででお仕舞いです。こらから白金台町~上大崎と歩きます。


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