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2006年関西電車の旅( 4) [関西電車旅2006年]

 2006年3月11日~12日に、学生時代の鉄道仲間たちと一緒に、京都の電車見物、梅小路蒸気機関車館~嵐電~叡電と廻って、京都は出町柳駅から京阪電車の8000系特急のダブルデッカー、勿論、二階席で、大阪は淀屋橋駅までやってきました。大阪で、みんなで夕食会を心斎橋のお店でやろうと言う訳です・・・・勿論、お酒は付きます。私は飲めませんが、電車仲間とのお酒の席は大好き!
(1) 淀屋橋からは、地下鉄御堂筋線に乗ります。梅田方面行きの電車が入ってきました。あっと驚く、女性専用車の色使いです。

 淀屋橋駅の筈ですが、本町かもしれません。半年経って、もう忘れてます。それにしても凄い、さすが大阪・・・・と思ったんですが、他の編成は如何なのか、確認もしてません。

(2) 本町で中央線に乗り換え、阿波座駅近くのビジネスホテル『ルートイン大阪本町』に、チェックインするや、すぐにお出かけです。
 地下鉄の駅には、こんなポスター。学研奈良登美ケ丘駅までの開通には少々早すぎましたが・・・・・。

(3) 翌、12日に高野山まで行くメンバーも居て、南海の難波駅まで、特急券を買いに行くのに、ついて行きました。難波駅も久しぶりです。こうや号の特急券も無事に入手でき、心斎橋のお店まで歩く事にしました。難波駅を出るときに、上を見れば、歴史を感じる南海の羽車の紋章・・・・・・・。もう、二箇所しか残っていないと聞きましたが、大事にして欲しいものです。

(4) 私、実は道頓堀のネオンも見たかった。出来れば、阪神タイガース優勝のときに、タイガースデザインになったと聞く、このグリコのネオンを見たかったです。今年は如何でしょうか?おりしも、今日から一位の中日ドラゴンズとの三連戦。20時01分現在、1対0でタイガース、勝ってるけれど・・・・。

(5) 地下鉄の駅のエスカレータに、気になるもの一件。この赤矢印の『黄色の電灯』は何なのでしょう。何方か、お教え下さいませんでしょうか?

(6) 今となっては、場所も忘れてしまった心斎橋の『連家』で、楽しく夕食会。ご馳走(!)の数々。

 そんなこんなで、大宴会?は終わりまして、良い気分で阿波座のホテルまで戻ってまいりました。
 明日、3月12日は、難波駅まで、高野山へ行くメンバーとご一緒し、私は皆さんを見送ったあと、そのまま南海電車に乗って住吉大社駅まで、阪堺電車を見に行くのです。


お知らせ
 先日、ホームページを更新しました。テーマは『鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線1962年』です。このURLからご覧になれます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link164a.html

 写真を一枚・・・・・・。国鉄常磐線連絡の佐貫駅ちかく、4号蒸気機関車が、短い貨物列車を引いて、龍ヶ崎からやってきました。



 では、今日はこの辺で。次回、またお目に掛かりましょう!


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2006年関西電車の旅( 3) [関西電車旅2006年]

 2006年3月11日~12日の二日間、学生時代の鉄道仲間と、京都・大阪地区を見物して回ったのです。そのときおお話です。
 今回は、前回の『嵐電』見物の後、西院から阪急で、河原町。四条大橋で鴨川を渡り、京阪の四条駅から、叡電の出町柳駅にやってきました。

 叡電は、本格的訪問は、1959年(昭和34年)と、1976年(昭和51年)に来ただけで、本当に久しぶりの訪問でした。

(1) 出町柳の駅で、『えぇきっぷ』・・・・叡電1日乗車券1,000円ってのを買いました。宝ヶ池までの往復ですから、ちょっとモトが取れそうもありませんが、記念品だし、購入。

 宝ヶ池駅のホームを右往左往しながら、鞍馬方面、八瀬比叡山口、出町柳ゆきの電車を撮りまくりました。もう、夕方ちかくなって光線状態も悪く、こんな写真たちですが、ご覧下さい。

(2) デオ720形721

(3)デオ730形732・・・・伝統的な楕円形のナンバープレートが嬉しい。

(4) 左:デオ710形711、右:デオ720形721

(5) デオ810形814・・・・2両固定編成。楕円形のナンバープレートは付いておりません。

(6) デオ800形801・・・・これも2両固定編成です。

(7) こんな券を機械から貰って電車に乗り、次の修学院駅で下車。

(普通の切符のサイズです)

 ここには車庫・工場があり、1959年の訪問もしたので、ひょっとして『懐かしいもの』が残っているかと思ったのです。しかし、実に綺麗さっぱり、なんにも残っていないように見えました。残念だけど、なんたって50年も昔の事ですからね。

(8) デオ730形732

(9) デオ900形901+XXXの固定編成です。窓の大きな素敵な電車ですね。

(10) まとも、電車に乗りまして、出町柳に着きました。左側の電車はデオ710形の711ですが、右のラッピング電車は何型でしょう?

 1976年に、元田中駅付近で撮影した、京福の叡電。いまの、京阪系列になってからの叡山電鉄とは、色も形も、全く違ってしまった車両。まさに、浦島太郎状態。
 昔のイメージで憧れて、やって来たので、ちょっと、失望。環境、社会、技術もかわり、仕方ないのですが・・・・・。

◆ 昔の叡電写真は下記のURLから・・・・・ ◆

■1959年修学院(HP:む~さんの鉄道風景)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html

■1976年元田中(このブログの過去記事)
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-07-12
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-07-13


 これから、京阪特急のダブルデッカーの二階席で半分寝ながら淀屋橋着。宿に入って、夜の街に繰り出しました。これから同行の鉄道仲間達と夕食飲み会になるのです。

・・・・・・では、また次回!!!


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2006年関西電車の旅( 2) [関西電車旅2006年]

 前の『2006年関西電車の旅( 1)』同様、『メール版お出かけ通信』を新しく作りなおしたものです。写真は、このブログ用に新しくリタッチしました。

 2006年3月11日の事です・・・・・・・・・・。京都は下京区、梅小路の蒸気機関車館を出た、私と鉄道仲間たちは、バスで四条大宮まで移動。そこから、京福電気鉄道嵐山線に乗るのです。バスは、じきに四条大宮。交叉点の向こう側に、京福電気鉄道嵐山線の四条大宮駅が見えております。交叉点を渡り、切符は、何回か下車するので、4回乗れば元が取れる『嵐電1日フリーきっぷ』650円を買いました。普通に買えば全線均一料金で大人200円です。

 
実は、嵐電は、私、初めて乗るのです。なんとなく、ワクワクします。ホームに入ると丁度、モボ2001形2002が到着。
電車は、街の裏の方、家の間を走ったり、郊外電車風お場所があったり、完全な路面電車になる場所があったりして、変化に富んだ沿線風景。路面区間には異常に幅の狭い、背の高い安全地帯を持った『山ノ内』という停留所がありました。嵐電の全線を、一日掛けて、じっくり写しに来たくなりました。
 四条大宮~嵐山間の嵐山本線は、全線複線、距離にして7.2キロメートル、所要約20分で終点に到着です。広くて綺麗なホームを持った大きな駅で、さすがは観光地嵐山。
 しかし、なんぼ何でも、ホームに足湯とは言え温泉はないだろう!とは思ったものです。嵐山温泉『駅の足湯』、小学生以上150円でタオル付き、前にはお地蔵様もいらっしゃいます。『ふれ愛地蔵』だそうで、ご丁寧にお賽銭箱も有ります。さっき、四条大宮でフリー切符を買ったときに割引券が付いてました。

(モボ621形624)

 一応、駅前に出て見ましたら、駅の建物は吃驚するくらいの大きさでした。目立つのは、お土産屋さんに、八つ橋のお店。
 
 次の目的駅、北野線の『北野白梅町』に向かいます。如何にも京都!ってネーミングの駅を五つ数えると、帷子ノ辻の乗換駅です。工事用の無蓋貨物電車、モト1001が昼寝中でした。
 北野線は単線ですが複線区間もあるって線区。嵐山本線といい勝負の沿線風景です。3.8キロで12分所要。北野白梅町のホームは四条大宮駅同様、屋根に覆われて居ります。すぐに帷子ノ辻に引き返しました。

(北野白梅町駅:モボ611形612)

 帷子ノ辻で四条大宮行きに乗り換えまして、広隆寺まえの道路での路面区間を走る嵐電を写そうと太秦まで乗ります。太秦駅で下車して、やって来る電車を撮影です。ホーム上にいきなり踊りの研究所・・・・わ~、京都だあ!なんて思いました。ここで、踊りのお稽古をするのでしょうか・・・・。

 やって来たのは、モボ2001、モボ621、モボ631、一見、同じ車体に見える。2001はインバーターと聞いたのですが、621、631は釣り掛けらしく見えました。太秦駅は専用軌道を走ってきた電車が併用軌道に移るところにあって、状況はかなり違うけれど、なんとなく江ノ電の腰越を思い出してしまった。
 駅周辺、併用軌道を行く嵐電を暫く撮影しました。駅の目の前には、超有名寺院・広隆寺の山門がそびえ、いや~、たいしたところであります。東映太秦映画村も近いらしい。
太秦駅周辺は、目前に右京警察署、右京区役所もあって、かなり賑やかなところです。ついでに、景色も電柱、電線が『うるさい』です。折角の広隆寺山門の景観も台無しだと思いました。電力通信線を地下化して、軌道の架線のみにすっきりまとめて欲しいです。もっとも、京都中、それをやったら、堪ったものではないと思いますが・・・・。

(モボ2001形2001)


(広隆寺門前をゆくモボ621形621)


(モボ631形631)


(併用軌道もすぐに終わり帷子ノ辻に向かって坂を下るモボ632)
 
 20分ほどでしたが、併用軌道での嵐電撮影を楽しんだ後、再び四条大宮行きの電車に乗りこみました。蚕ノ社、山ノ内、三條口、そして四つ目の西院(さい)駅で下車すれば嵐電の車庫があります。電車を降りて道を横切り一寸歩けば、車庫です。
 車庫で休憩中の、この落ち着いたカラーの塗り分けは、京都の街に似合うようです。屋根の下見える広告電車となったモボ101形、私は、昔からそう好きではなかったけれど、こんな桃色塗装は少々可哀想に思えました。やっぱりグリーンとベージュの塗り訳の方が良いなあと、勝手なことを考えました。レトロっぽく作られた電車、モボ26形もありますが、こっちも好きな部類には入りません。古い電車は大好きですが、古っぽく作ったのが、私には駄目なのです。

(モボ631形633)

 パノラマ写真も撮って見ました。ちょっとつながりが良くありませんが、ご容赦ください。画像の下のURLから幅1,024ピクセルの画像をご覧になれます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link_blog006-pano.html

次ぎの目的地、叡電の出町柳に向けて移動します。何故か読み方の違う阪急の西院(さいいん)駅が近いので、河原町まで阪急電車。四条大橋をわたって京阪電車に乗るのですが、この先は、次回で!


■ 忘れ物 ■
 前回の『梅小路蒸気機関車館編』にパノラマ写真を載せるのを忘れました。上の西院車庫のパノラマ写真と同じところに載せましたので、ご覧下さい。
URLは同じです。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link_blog006-pano.html

忘れっぽくて困ったものです。赤瀬川先生ではないけれど、私も、かなり老人力が付いて来た様です。(嬉しくない!!)

  では、次回、またお目に掛かりましょう!!!


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中央線と京王帝都(八王子と高尾) [お出かけ通信  1~ 50]

■■ お出かけ通信(19) ■■

 今日は、一寸だけ出掛けて来ましたので、そのご報告。

 行先は、八王子と高尾です。横浜線で八王子駅、構内は寂しく、DE10とEF64、EH201が寝ていただけです。貨物列車は居ませんし、横浜線の205と中央線の201が往き来するだけでした。まあ、たまには中央線の特急は来ましたけれど。あ、八高線の電車も居ましたっけ。

 北口に出て、京王八王子駅までぶらぶら歩きます。京王の駅前の『かつや』で、昼飯にロースカツ定食(梅)を食いました。714円です。
 京王八王子から、7000系の各停電車で北野駅、ここで高尾線に乗り換えました。

(1) 北野駅で、6000系6713・各停・京王八王子行。

 高尾線の途中駅『めじろ台』でおりて、ホームから電車を狙いました。

(2) 8000系・準特急・新宿行

(3) 7000系7771・各停・高尾山口行

(4) 9000系(9702)・各停・新宿行

 再び、電車に乗りこみ、二つ先の高尾で下車。JRに乗り換えです。JRの201系も、次の世代の電車E233も出来て、いよいよ世代の交代です。

(5) 下り線を、特急あずさE257系の通過です。あずさ19号かな?E257のこのお顔はマズマズなのですが、貫通タイプの顔は、凶悪な感じで一寸引きますね・・・・。

(6) 中央線も高尾まで来ますと、山が迫り、駅の雰囲気も国電区間と言うよりも、汽車の駅の雰囲気があるなあと思いました。

 115系も、ここまで来て、甲府方面に折り返して行きます。こういう中距離電車が、都心に入ってこられないと言うのは、不自然だなあと思うのです。

(7) 大月行きが来ると言うアナウンスに、115系か?と思いましたら、201系です。

(8) 中央線電車で八王子まで戻りました。この201系が、見られなくなるのは、そんなに遠い事ではないのでしょう。

 そろそろ、帰る時刻になりました。横浜線の205系に乗って、帰ってきました。

(9) 小さい画像ですが、ちょっとだけ並べます。

(左上)DE101667:八王子駅
(右上)クハ205-3003:八高線:八王子駅
(左下)クハ209-3101:八高線:八王子駅
(右下)115系・・・・ナンバーは判りません:高尾駅

(10) もう二枚・・・・オマケです。

(左)お昼ご飯は『かつや』のロースカツ定食714円
(右)高尾駅といえば高尾山、高尾山といえば天狗さま(でかいよ!)


今日はこんなところで・・・・・。また、次回!!!


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2006年関西電車の旅( 1) [関西電車旅2006年]

 月末までに片付けねばならない仕事も無事に片付け、気持ちの余裕ができました。ほっとした所で、又このブログを書き始めます。

 このブログの名前は『お出かけ通信・blog版』なのですが、その本家『お出かけ通信』は、超弱小、超小規模、発行部数20数部の、メールマガジンで現在、休刊状態だと言うことは、何回か書きました。
 その今年になっての号に、2006年3月11日~12日の、京阪地区の電車見物旅行のことを書き始めたのですが、途中でSTOPしております。

 その旅のコースは、新横浜~新幹線~京都~梅小路蒸気機関車館~京福嵐山線~叡山電鉄~京阪特急~大阪淀屋橋~宿泊~難波~南海~住吉~阪堺~恵美須町~難波~近鉄特急~名古屋~あおうみ線~新幹線~新横浜。

 今回から、少しの間、この旅の事を書きます。初回は、そのメールマガジンの文面を転載添削して使います。写真はすべて、今回用に、加工しなおしました。

(1) 2006年3月11日、我が家を早朝に出立してバスでJR町田駅に出る。そこから横浜線の205系で新横浜、新幹線のぞみ303号7時13分発18E席で京都に向かいます。
 

 無事に走って京都着9時14分。京都駅改札口で、切符を記念に頂きましたが、記念用の『使用済みスタンプ』が用意されていました。結構な営業姿勢だと思いました。まだ、早すぎるので、スタバで珈琲など飲んで時間を調整し、市バスで梅小路へ。

(2) 梅小路蒸気機関車館はすぐに判りました。ご存知の通り移築された二條駅の本屋が本館になっております。そして期間限定だけど『きもの』を着て来ればタダのキャンペーンに協賛しておりました。大変結構。中に入ります。入場料は400円。丁度『D52写真展』もやっておりました。これが、入場券。

(3) パンフレット

 扇形庫は重要文化財だそうですが、扇形庫に並んだ蒸気機関車たちは壮観です。9600、D50、C51、C53、C55、C11、D51×2、C57、C58、C56、B20、D52、C61、C62と保存されているとパンフレットに書いてありました。別にC62と8620は火が入る状態で外に居ます。

 程なく、ここで、待ち合わせることになっていた鉄道大好きの熟年仲間たちも、前夜に泊まった有馬温泉から阪急電車で到着、無事に合流でき、ホッと致しました。貴重な蒸気機関車をこうして保存してくれている事は大変有り難いことです。ただ、まともなアングルでの撮影のできる機関車が少ないのは惜しいのですが、やむを得ません。

(4) この日は8620形8630がデモ運転中。

(5) 8630は、工事用車改造の遊覧客車を引いてお子達のお相手

  
(6) 私が一番会いたかったC5345。高校生の頃ですから昭和30年前後、この機関車が残っていると、当時の鉄道誌『鉄道』(1~3号まで発刊)に載っていた、坂本一平氏の記事で読み憧れました。

(7) これが、ぎりぎりのアングル。戸外で、眺め、撮りたかったですね。

(8) リムの薄い実に美しいスポーク車輪。C53に会えただけで、ここへ来た甲斐があったというものです。

 ほれぼれする美しさです。

 一時間少々で見学を終え、博物館の外周を走る筈の『N電』を眺める筈でしたが、何時もならお客さんを乗せて運転されているとの事なのですが、たまたま運の悪い事に塗装作業で運休でビニールを被って車庫の中。・・・・・・。ちょっぴり残念でありました。

 これから、バスで『京福電気鉄道嵐山線』に向かいます。嵐電のお話は以前、7月14日付で、モボ2001形2002:地上波ディジタルテレビ搭載『デジデン号』について、このブログに書きしたがその、嵐電に向かいます。

 では、また次回。


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静岡鉄道駿遠線の本 [管理人から]

 静岡鉄道駿遠線は東海道本線の藤枝と袋井を結ぶ全長65粁弱の、軌間762ミリの、所謂、軽便鉄道でありました。
 私も、この鉄道が好きで、随分、通いました。そのときの写真などは私のホームページ上で公開しています。

 この程、地元の駿遠線研究家、阿形 昭さんが、駿遠線の全駅での駅風景、沿線風景、車両などを、305枚集めた写真集を自費出版されました。


 表紙の色は気動車の色。

書名:写真でつづる静岡鉄道駿遠線
著者:阿形 昭
発売元:静岡新聞社
価格:税込み2,940円

 どこの書店でも取り寄せできるとの事でした。

 軽便鉄道ファンには、喜んでいただける本だと思います。


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HP『む~さんの鉄道風景』予告 [管理人から]

 今日は、全般、順調で、ちょっと時間が出来ましたので、ホームページ『む~さんの鉄道風景』から、更新の予告編を・・・・・・。

 常磐線が、まだ取手から先は、蒸気機関車牽引列車と気動車が走っていた頃、取手の二つ先、佐貫駅から中間駅ひとつだけの短い鉄道、鹿島参宮鉄道龍ヶ崎線を訪問、あまりの素晴らしさに感動でした。1958年(昭和58年)の事でした。蒸気機関車、2軸の古典客車、気動車、貨物輸送も勿論。その後、何回か訪問しましたが、1962年(昭和37年)のお正月、またも、龍ヶ崎を訪れました。常磐線は既に電化されましたが、龍ヶ崎線は、変わらぬ姿で私を迎えてくれました。

 その時の写真集を、準備中です。来月初めくらいまでにはアップロードするつもりですが、今日は、そのうちの4枚の写真をご覧下さい。

(1) 国鉄常磐線連絡の佐貫駅に龍ヶ崎からの貨物列車が到着

(2) 龍ヶ崎駅、構内の眺め

(3) 当時としても、何とも涙モノの光景

(4) 龍ヶ崎駅構内の図


正式アップロードしましたら、改めて、ご案内致します。ご期待下さい!


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阪急・梅田駅で珈琲を・・・・ [関西電車旅2001年]

 今日は、ちょっと珈琲でも飲んで、一服いたしましょう。

 昨日のブログに書きましたように、2001年11月20日、近鉄あやめ池遊園地で、近鉄の歴史的電車デボ1/モ200の復元展示車を見て、近鉄奈良線で大阪は難波へ。地下鉄御堂筋線で梅田まで来たのですが、そうだ!お茶を飲んで行こう!と、言う訳で、阪急梅田駅ホームに入場券で入り、お気に入りの喫茶室『AJISAI』で、阪急電車を眺めつつ珈琲で一休み。

(1) 『AJISAI』店内からの神戸線の電車。
・・・・・・・カタチから形式を同定できないくらい、阪急とのお付き合いも希薄になりました。好きなのに・・・・・。(見に行きたいなあ~!!切実に、そう思います。)

(2) 同じく、『AJISAI』店内からアングルを変えて・・・・・。

(3) 『AJISAI』をホームから眺める。

青緑色の電飾看板には『ROKKOSAN HOTEL   Cafe  AJISAI  Beer』とあります。

(4) 『AJISAI』店内から『パノラマ写真』を狙ってみました。

 小さいので何が何だか判りませんね。ホームページに1,024ピクセル幅の画像を置きましたので、下のURLからご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link_blog005-pano.html

(5) 同じ、ホームの京都線側にも、喫茶室があります。未だ入った事は無いのですが、おそらく京都線の眺めがいい事でしょう。
 こちらは『Cafe ライラック』と言います。

 今年になって、3月、京都・大阪を旅しましたが、スケジュール的に苦しく、梅田駅ホームには行く事が出来ませんでした。残念っ!!!

・・・・・・・・・と、書いてきましたが、この日から既に5年が経過しております。この二つのTea Roomは健在なのか、少々気になっています。


■■ お知らせ ■■
 月末までの約10日間、ちょっと仕事が立て込みまして、更新のインターバルが長くなると思います。中一日~中四日ほどですが・・・・・。タイムシェアリングがヘタなものでして・・・・。
 10月になれば、正常に戻れると思いますので、よろしくお願い致します。


 では、今日はここまでです。次回又お目に掛かりましょう!!


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近鉄あやめ池遊園地のデボ1保存車 [関西電車旅2001年]

 今日の話題は『近鉄モ200形』にしましょう。初対面は昭和30年の春の事でした。高校2~3年の春休みに合わせての修学旅行。往復貸切客車列車での京都奈良観光。
 3月30日でしたが奈良・西ノ京の『薬師寺』を見学しました。私は前を通る近鉄橿原線が気になって、勿体無い事に、ご本尊さまも拝むことなく、近鉄線路に貼り付きました。その時の主役がモ200形。なんという優美な姿でしょう!!しかも木造、一目で好きになりました。
 モ200形は大正3年(1914年)、大阪~奈良間の大阪電気軌道開業時に製造されたデボ1形の、近鉄となったのちの形式だそうです。

(1) モ219他のモ200形三連。丸い前面に五つ窓の木造車。

(2) 同じく、モ200形の三連。

(3) 少し後の大学生時代、昭和31年の7月、四国旅行の帰りに立ち寄った近鉄奈良線。上六駅で見かけたモ461は、モ200形とほぼ同形ながらすこし大型のデボ61(後のモ260形)の、鋼体化更新車。貫通タイプで私好みの車体でした。

・・・・・・が、このように鋼体化されず、木造のまま廃車となり消えて行った、モ200形が、製造時の姿に復元されて、近鉄あやめ池遊園地に展示保存されていると聞き、関西在住の鉄道愛好家の方のご案内で、見学に行ったのです。

 このときの旅は、2001年11月、2泊3日の旅として、関西の電車見物の旅でした。尼崎駅前の、HOP INNなるホテルを根城に、大阪・奈良を回りました。
 1日目は、OTSニュートラムに乗った後、友人Wさんと一緒に阪堺電車を全線乗り、鶴橋で焼肉と行きたかったのですが、おりしもBSE問題で、まあ、牛は止めて鶏にしようとタッカルビを食し、Wさんと別れて尼崎で一泊。翌日、JR東西線、環状線で天王寺まで行き、近鉄南大阪線の、あべの橋から、さくらライナーで橿原神宮。そこで、関西在住の鉄道愛好家のMさんと会って、近鉄橿原線・京都線・奈良線をご案内頂き、あやめ池遊園地までやってきました。 

(4) お目当てのモ200/デボ1保存車は、遊園地の奥の方に、きちんとした屋根の下に、大切に展示されておりました。(旧デボ14→モ212だそうです)

(5) お顔です。

(6) 救助網と螺旋式連結器。

(7) 台車。

(8) 大阪電気軌道・・・・大軌の社標の飾り文字。

(9) 解説板もきちんとしたものでした。

 15時少し前、今回の旅のビッグイベント、モ200との大感動のご対面を終わって、満たされた気持で、近鉄あやめ池遊園地を後にしました。親切に、ご案内頂いたMさんとお別れし、近鉄奈良線で大阪に向かったのです。 そのあと、また尼崎のホテルに泊り、旅を終えました。


 2004年6月、あやめ池遊園地は諸事情で閉園となりました。このデボ1形→モ200形の保存車の、その後を心配したのですが、2005年6月、五位堂にある『五位堂研修車庫』に保存されたのだそうで、ほっと致しました。


参考文献&HP:Wikipedia、鉄道ピクトリアルNo.569『臨時増刊:特集・近畿日本鉄道』を参考に致しました。

 このページの2001年の写真はすべてオリンパスのデジカメC-830L、130万画素機によるものです。480×360pixelくらいでしたらそこそこ実用になりますね。安心しました。

 今週は、いろいろと宿題も多く、ブログの更新も、少なめになりそうです。まあ、1日おきには更新しようとは、思っていますが・・・・・。遅れた時は、ご容赦下さい。

 では、次回!!!


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南海電車:汐見橋ターミナル [2000年の旅]

 今日は2000年1月のことを書きます。超弱小個人的メルマガ『お出かけ通信・メール版(現在休刊状態:発行部数20数部)』の部分的再録です。写真は新しくリタッチしました。

 2000年1月23日、1999年春に退職して以来、初めての一泊二日・大阪電車観光に行き、かつては同じ会社に勤めていた事のある、Nさん、大阪在住の超鉄道愛好者の方の案内で京阪などを見物し、難波のホテル南海というビジネスホテルに宿泊。翌日、一人で南海・阪堺とかに、乗っている。

 1月24日、昨夜、早く寝たおかげで、朝の目覚めは好調でした。シャワーを浴びて、サッパリした気分でホテル1階(・・・・だったかなあ?)のミスタードナッツで、ドーナッツと珈琲の朝食です。食事をしながら今日の予定をどーしようかと考えたのですが、結局、南海電車の汐見橋駅に行く事にしました。昭和29年、初めて関西に電車に乗りに来て以来、行って見たいなーと思いつつ果たしていなかったのです。
 そのあとは、阪堺電気軌道に何処かから乗って、恵美須町ターミナルを見て、鶴橋で韓国料理でも食って、近鉄アーバンライナーで名古屋へ行き、そして締めは新幹線で新横浜、帰宅と言うスケジュールが出来ました。

 チェックアウト後、荷物を難波の近鉄の出札窓口近くのコインロッカーに預け身軽になって、出発です。

 退職した勤め先の大阪支店に一寸顔を出し、挨拶の後、地下鉄の桜川駅に近い、南海電車のターミナル、汐見橋駅まで行きました。
 交通量の多い大きな交叉点の、すぐ近くに、ひっそりと、まるで隠れているような駅があって、そこが『汐見橋駅』でした。
 昔は、賑わったのではないかとも思うが、如何なんだろう。たしか、高野山へ行くラインの始発駅だったはず。思い違いかもしれないが。

 汐見橋駅は、まるで昭和30年代の思わせる姿でした。改札口の上の壁には、昭和30年ごろの南海電車の沿線案内図が、まるで古寺の壁画みたいに古色蒼然とした古び方で架かっています。これは必見の物件です。

 駅はプラットフォーム1本のシンプルなもので、古びた駅本屋とともに、これが、本当に、あの高野山ゆき電車のターミナルだったのかと疑ってしまうような雰囲気です。

(1) 順序が滅茶苦茶ですが切り張り写真。左上が汐見橋駅の正面。高速道路がかぶる交叉点の脇にありました。

 何度見ても、この南海の新社標は、なじめません。やっぱり羽車が良かったなあと思うのは、まあ、歳の所為なんでしょう。

(2) ウイークデイの午前中、ホームに人影は無く、寂しい眺めでありました。
 改札口の上に沿線案内地図が掲げられていました。なにしろ130万画素のデジカメ、買った当時は最新式だったけれど、今見ると実に、ひどい画像です。

(3) 地図だけ拡大してみたのですが、何だかぼやけたモノになってしまいました。果たして今でもこの地図は在るのでしょうか? いまだに掲げられているのなら、これはもう、写しなおしに行かねばなりません。

(4) やってきたのは2連の2扉車です。ナンバーは2202ともう一両。この駅には昔風の濃緑色の車体、鉛丹ペイントの屋根、2扉17m車が似合うなあと思いつつ乗車。

(5) (4)のもう一両なのですが、残念ながらナンバーが良く写っていません。

(6) 電車車内。

 電車は出発し、東京で云えば東武の亀戸線を思わせる沿線風景を眺めながら、汐見橋~芦原町~木津川~津守~西天下茶屋~そして岸の里玉出駅までのんびり走ります。途中の木津川駅は何本かの貨物側線があり、昔は、例の南海タイプの凸型電機機関車が貨車を引いて出入していたのでは・・・と想像が膨らみました。

・・・・・・と、云うわけで岸の里玉出に着きました。南海本線と高野線のホー
ムは、かなり離れていてV字型に配置されています。

(7) 南海本線のホームから見た、私の乗って来た編成です。

 私は、その後、阪堺電車に乗るために駅から出る事にしました。駅員さんに道を聞いて阪堺電軌の天神ノ森まで歩きます。細い小路を何とか迷わずに天神ノ森の停留所に着けました。
 このとき訪問した阪堺電軌に付きましては、以前、このブログでご紹介しました。もしよろしかったら、下記のURLから、ご覧下さい。
http://blog.so-net.ne.jp/mu3rail/2006-06-23


 では、また次回!!!!


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