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何時もの場所で何時もの小田急 [お出かけ通信  1~ 50]

2006年 7月 3日(月曜日)

今日は暑い。エアコンを入れたくなる日。

■ 小田急の電車に会いに行った ■

何時も小田急見物に出かける『玉川学園前~鶴川間の鶴川4号踏切付近の住宅団地』。今日は、そこよりも、ちょっと鶴川よりの、袋小路みたいな道路の一番奥まで、行って見ました。

(1)線路の向こうの、小さな田圃は稲もだいぶ育ち、緑。その向こうの丘陵は家々がびっしりと建っています。電車は3000系の各停。

(2)上の場所から、右を見ると和光大学・・・・ずっと向こうには玉川大学が見えています。電車は新宿行き快速急行1000系×4+3000系×6。

(3)急行・片瀬江ノ島行き。8000系4連+6連。

(4)快速急行新宿行き5000系4連+3000系6連。


今日のお出かけ通信は、これで、おしまい。

次号は、1976年昭和51年の南海電車の続きです。

 


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昭和51年関西電車観光(5) [関西電車旅1976年]

1976年(昭和51年)9月の4日~5日、関西電車見物の旅の第五回です。

■ 南海電気鉄道(その2) ■

新今宮駅の三本のホームを駆けまわり、電車観察は続きます。電車ばかりでなく、気動車だって来ました。

(1)特急『きにくに号』が来ました。和歌山市駅から、紀勢本線方面に乗り入れる観光列車でした。

勿論、南海の車両。国鉄キハ55同等のキハ5501形が先頭、次位は同じタイプながら、両運転台でトイレ無しのキハ5551形。『和歌山方面』行です。『きのくに』号は、南海線内は「特急」扱いでしたが、晩年は非冷房のため乗客から敬遠されていたとの事。岸和田競輪の開催時に、便利な時間帯だったせいか、「競輪電車」といわれたこともあったようです。南海の「南紀連絡」については、一時期、国鉄の特急電車を払い下げてもらって、継続すると言う話まであったようですが、いつのまにか消えてしまいました。・・・・・と、のり様から教わりました。

(2)モ7101系:難波行急行。いまの塗装より、ずっと良いなあ!と、私は思います。

(3)モ7001系、和歌山市発・なんば行の各停。

(4)客扱い中のモ7101系:急行淡路号多奈川行。

(5)又も電車に乗りこんで南へ走ります。高野線だけにしか無い、萩ノ茶屋駅では、特急こうや号デラックスズームカー20001系とすれ違いました。昔々大昔、昭和29年、やはりこの辺りで当時のこうや号とすれ違った事を思い出します。カメラの用意が出来ず、撮影に難波駅に戻らなかったのが、今、考えれば惜しかった。モ1251×2+ク1900だった気がする。電動車は3両だったかしら・・・。よく判りません。


天下茶屋駅で下車し、撮影後、今はもう無くなった天王寺線に乗り換え、たのですが、その写真は、次回で。


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