昭和50年・関西の旅から(2) [1970年代の関西電車]
きのうは6月8日、例によって翌日記入。So-netさ~ん、早く改善して下さ~い!!22時過ぎると、実用になりませんよ~!
木曜日は一週間の中で一番仕事が体にハードな日なのです。でもね、いまの仕事は好きだから、苦痛とはカケラも感じません。電車的には何にも無い日でしたね。仕事がえりに近所の家電PC量販店に立ち寄り、市場調査。デジカメもPCも進んじゃったなあと悲嘆にくれてしまった。って云ったって買い換えの裏づけも無く、寂しいもんだ。大昔の高校生の頃、学校の帰り道、銀座のカメラ店をハシゴして、カメラ欲しさを紛らわせていた時を思い出してしまう。ポイントも溜まっていたのでA4サイズの普通紙500枚パッケージを貰ってきた。500枚で300円台、店によっては100円なんてところもあるらしい。こんなに安くって良いのかなあ??(造る立場としてですが・・・)
さて、本題。
■■ 昭和50年・関西の旅から(2) ■■
昨日書いた『昭和50年・関西の旅から』ですが、書き方をちゃんと順序だてて書こうと思い直した。フィルム一本分のスライドを眺めつつ、旅を再構築しようと昨夜(8日の事ですが)色々とボケた頭をひねったのだが、情けない事に、殆ど記憶が飛んでまして・・・・・・・。
・・・・で、まあ一応、合理的かなあ?という順序で並べる事にしました。撮影は昭和50年1975年の6月1日。
早朝に家を出て小田急に乗る。新幹線なら新横浜からが本来なのですが、小田原から新幹線に乗ると、弁当一食分くらいはコストダウンになる、ってぇんで良く使ったテなんです。東海道も小田原~静岡間を各停利用で静岡から先を新幹線にして、松田聖子のCD買った事もあった(笑)けれど、今回の新幹線は、どうやら小田原かららしい。
海老名までは、何故か各停、そこから先が急行だったようですが、こないだサヨナラ記念運転をやった懐かしのデハ9000でした。
名古屋駅の手前らしい・・・・新幹線の窓からすれ違う名鉄の更新電車モ3730系。
名古屋からは近鉄特急。そのまま新幹線で大阪入りすれば良さそうなものだけど、まあ、そこが近鉄大好きの私ゆえでして・・・・。
米野駅通過。スナックカー見ただけで、はしゃいでしまう私でありました。(今だってそうですけれどね)
何処あたりだったのでしょうか、国鉄関西本線と併走。DD51の貨物列車。
画像の端の方が黒っぽいけれど乗った電車の窓ガラスを斜め方向に通しての撮影だったかららしく思われます。
中川の三角線から青山峠、伊賀神戸ではラッキーな事に伊賀線の電車に遭遇。
小さな窓がずらりと並び、屋根にはお椀形のベンチレータ、モニ5181のニ連の美しい編成でした。
名張から榛原町、長い勾配を下って桜井に至る区間は、山間に古い形の民家が点在し、それを高所から眺めると言う私の大好きな風景が続くのですが、桜井近く、春雨・素麺の製造会社が見えたりします。
無事に、大阪着。難波まで行かずに鶴橋で下車したみたいで、この一枚。
近鉄奈良線難波ゆき準急8065。当時の近鉄普通車の塗装は、今の2色塗りよりも落ち着いた感じで好きでありました。今の色は警戒色で安全上は良いとは思いますが・・・・。
大阪につきました。スライドを眺めながらいろいろと思い出そうとするのですが、なんにも出てきません。メモとか有れば記憶の引出しが見つかると思うのですが、フィルムだけでは、中々そうは参りません。鉄道ファン諸君!メモは必須ですよ~!!
こんなコースだったみたいです・・・・・。近鉄から、阪神~阪急~京阪・・・・そして、昨日に書いた南海阪堺線、お泊りはお馴染みだった、ナンバ大阪球場わきの『ホテル南海』だったんだろうなあ・・・・たぶん。
そんな訳で、明日は『阪神編』です。