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昭和50年・関西の旅から(4) [1970年代の関西電車]

6月10日(土)、午前中、雑用でお出かけ。食品買物とか、電器量販店に注文してあったコードレス留守電話用のバッテリーを買いに行ったりしたけれど、購入後10年近く使っていたので、この電池、まあ長持ちした内に入るかな?
午後は2時間ほど仕事。例によって疲れた~。

ソネットのブログサーバーのメンテナンスが明日です。今夜真夜中の12時から明日12日月曜日の午後3時まで、ブログはストップって事に・・・・・。

さて、今日の鉄道話は・・・・・・。

■■ 昭和50年・関西の旅から(4) ■■

1975年6月ですから31年も前の事ですね。一本分の駒番号のついていないフジカラースライドを、眺めながら、何箇所かの撮影地が、どのような順序だったのか、思い出せません。
近鉄特急で大阪~阪神電車~阪急電車~京阪電車~南海阪堺線と思っていたのですが、どうも違うらしい。いや、ゼッタイに違う。何でも無い写真の何処かにヒントが無いかと、小説に出てくる探偵さんみたいな気分で首をひねっています。

順序はともかく、阪急電車三線のジャンクション、十三駅です。神戸線のホーム、梅田寄りからの撮影ですね。
 
5000に2000、今でもこのタイプの車体は好きで、京都線の特急は6300じゃあなくって2800だなあと思っています。またはお古いところで『710』。

タネは知りませんが更新車の1200。同じタイプの車体の1000、1100は高性能車のハシリでしたが、この1200は釣り掛けみたいです。宝塚行きの普通電車。

宝塚線急行梅田行の3101ほか・・・・。

北千里発、梅田行きの普通電車は3361。

今日は西宮球場で野球の試合があるらしく子供達がHマークの野球帽ではしゃいでおりました。電車も阪急ブレーブスのキャラクターのヘッドマークもつけています。

このホームのこの場所に居るって事は、この電車に乗って神戸方面に移動した証拠かもしれません。

では、また明日!明日は京阪電車です。

明日の15時には、この『So-net Blog』がサーバーの整備で、高速処理が出来るようになる『筈』で、それを期待しながら、再び、また明日!!!


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昭和50年・関西の旅から(3) [1970年代の関西電車]

きのうの6月9日(金)、午前中に近所の農協のショップで野菜をまとめ買い。雨が強く、いよいよ本格的な梅雨に入ったなあと思う。午後は2時間ほどダンスの練習。かなり疲れたけれど、早寝しようと思いつつも例によって、ぐずぐずと過ごし、寝たのは12時を一寸回った。今朝起きたのが5時一寸前だから、睡眠時間短いなあ。でも、眠って居られないので起きてしまう。眠りは深い方だと思うけど。

プロバイダのソネットからのお知らせで、近日、ブログサーバーの改善が行なわれるらしい。大いに期待しているんだけれど・・・・・・。

さて、本題。

■■ 昭和50年・関西の旅から(3) ■■

昨日の続きです。近鉄特急で大阪に入った私、先に書いた南海:阪堺線ではなくて、阪神電車に乗ったらしい。スライドのフィルムを眺めながら、写っている『阪神』『阪急』『京阪』『京都市電』『南海:阪堺』の乗車の順序を思い出そうとしてみたのだけれど、如何しても駄目!駒がばらばらになってしまうスライドの場合、こう云うときに困ってしまいます。まあ、仕方が無い。私の老人力もいよいよ本格化だなあ・・・・。まあ30年も昔の事だもんなあ。

ともかく阪神電車の『芦屋駅』に来ています。ここで、光線状態の良い梅田方面行きのホームから何枚か撮影していますので、そのうちの7枚です。
阪神は急行特急用は赤とベージュの塗装、普通用はブルーとベージュの塗り分けに、はっきりと区分されています。たしか、赤胴車、青胴車と言っていたようですが・・・・・。

 (1)三宮方面行きの急行。7820。このころは未だ昭和29年、阪神に始めて乗ったときに、当時の851とか861、881の顔に付いていたのと同じような『急行EXPRESS』のヘッドマークをつけておりました。

(2)ホームから見下ろす芦屋川、公園風に整備されておりました。

(3)急行の7862。

(4)特急・須磨浦公園行。7814で昭和29年、特急運転開始の頃のタイプのヘッドマークです。
このフィルムには好きだった3000番台の車両のまともな写真が無いのが一寸残念。

(5)普通電車、元町行きの5266。

(5)たぶん上の写真の列車を後から写したのでしょう、元町行き5271。

(7)梅田行きの普通電車が入ってきました。5101(左は急行の7009)

今日の分はこれでお仕舞いで、明日は、阪急です。では、また・・・・・。


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昭和50年・関西の旅から(2) [1970年代の関西電車]

きのうは6月8日、例によって翌日記入。So-netさ~ん、早く改善して下さ~い!!22時過ぎると、実用になりませんよ~!

木曜日は一週間の中で一番仕事が体にハードな日なのです。でもね、いまの仕事は好きだから、苦痛とはカケラも感じません。電車的には何にも無い日でしたね。仕事がえりに近所の家電PC量販店に立ち寄り、市場調査。デジカメもPCも進んじゃったなあと悲嘆にくれてしまった。って云ったって買い換えの裏づけも無く、寂しいもんだ。大昔の高校生の頃、学校の帰り道、銀座のカメラ店をハシゴして、カメラ欲しさを紛らわせていた時を思い出してしまう。ポイントも溜まっていたのでA4サイズの普通紙500枚パッケージを貰ってきた。500枚で300円台、店によっては100円なんてところもあるらしい。こんなに安くって良いのかなあ??(造る立場としてですが・・・)

さて、本題。

■■ 昭和50年・関西の旅から(2) ■■

昨日書いた『昭和50年・関西の旅から』ですが、書き方をちゃんと順序だてて書こうと思い直した。フィルム一本分のスライドを眺めつつ、旅を再構築しようと昨夜(8日の事ですが)色々とボケた頭をひねったのだが、情けない事に、殆ど記憶が飛んでまして・・・・・・・。
・・・・で、まあ一応、合理的かなあ?という順序で並べる事にしました。撮影は昭和50年1975年の6月1日。

早朝に家を出て小田急に乗る。新幹線なら新横浜からが本来なのですが、小田原から新幹線に乗ると、弁当一食分くらいはコストダウンになる、ってぇんで良く使ったテなんです。東海道も小田原~静岡間を各停利用で静岡から先を新幹線にして、松田聖子のCD買った事もあった(笑)けれど、今回の新幹線は、どうやら小田原かららしい。


海老名までは、何故か各停、そこから先が急行だったようですが、こないだサヨナラ記念運転をやった懐かしのデハ9000でした。

名古屋駅の手前らしい・・・・新幹線の窓からすれ違う名鉄の更新電車モ3730系。

名古屋からは近鉄特急。そのまま新幹線で大阪入りすれば良さそうなものだけど、まあ、そこが近鉄大好きの私ゆえでして・・・・。

米野駅通過。スナックカー見ただけで、はしゃいでしまう私でありました。(今だってそうですけれどね)

何処あたりだったのでしょうか、国鉄関西本線と併走。DD51の貨物列車。

画像の端の方が黒っぽいけれど乗った電車の窓ガラスを斜め方向に通しての撮影だったかららしく思われます。

中川の三角線から青山峠、伊賀神戸ではラッキーな事に伊賀線の電車に遭遇。

小さな窓がずらりと並び、屋根にはお椀形のベンチレータ、モニ5181のニ連の美しい編成でした。

名張から榛原町、長い勾配を下って桜井に至る区間は、山間に古い形の民家が点在し、それを高所から眺めると言う私の大好きな風景が続くのですが、桜井近く、春雨・素麺の製造会社が見えたりします。

無事に、大阪着。難波まで行かずに鶴橋で下車したみたいで、この一枚。

近鉄奈良線難波ゆき準急8065。当時の近鉄普通車の塗装は、今の2色塗りよりも落ち着いた感じで好きでありました。今の色は警戒色で安全上は良いとは思いますが・・・・。

大阪につきました。スライドを眺めながらいろいろと思い出そうとするのですが、なんにも出てきません。メモとか有れば記憶の引出しが見つかると思うのですが、フィルムだけでは、中々そうは参りません。鉄道ファン諸君!メモは必須ですよ~!!

こんなコースだったみたいです・・・・・。近鉄から、阪神~阪急~京阪・・・・そして、昨日に書いた南海阪堺線、お泊りはお馴染みだった、ナンバ大阪球場わきの『ホテル南海』だったんだろうなあ・・・・たぶん。

そんな訳で、明日は『阪神編』です。


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昭和50年・関西の旅から(1) [1970年代の関西電車]

フジカラーのスライドが一本分出てきました。如何云う事情で関西に旅したのか、丸っきり忘れております。
昭和50年1975年の6月1日とスライドのプラスティックケースに書かれています。当日は日曜日ですので、会社の大阪出張を一日早く出かけたのかも知れません。当時、主に使っていたカメラはミノルタSR-1で、多分それで写したのでしょう。当時、プロミナーレンズに何故か惹かれ知人から譲ってもらったコーワSETRではなかったと思う。

その中からランダムに・・・・・・。

早朝の小田急で小田原に出て、新幹線で名古屋、近鉄特急で大阪、たぶん鶴橋下車、その後、どういうコースだかわかりませんが南海の阪堺線を写しております。当時、大阪で良く利用した難波のホテル南海というビジネスホテルに泊まったのだと思うので、一日の電車三昧の最後に行ったと言う可能性もありますが・・・・。(なにしろフジカラーのプラスティックのスライド枠には駒番号が無く、撮影の順序が全く判らないのです)

まあ、とにかく3枚のスライドがあります。昭和50年ですから、阪堺電軌軌道㈱・・・・昭和55年12月運行開始・・・・ではなく、まだ南海電軌鉄道の阪堺線ですね。

(1)モ501形の502。住吉鳥居前で撮影。方向幕に系統「い」が入っています。ブルーバードの後姿が懐かしい(ブルーバードは初代と、このタイプが好きで・・・・)。

(2)モ121形121。昭和4年製の大ベテランで、元大阪市電だそうです。車体が片側2扉に改造されています。上と同じく住吉鳥居前。

(3)場所は判りませんが日差しが低くなっていますので、夕方かもしれません。きっと難波から住吉公園駅に向かっているのでしょう。モ6100らしく思えますが、顔で6000と6100の区別が出来ない私です。○| ̄|_。

(参考文献:小林庄三著『阪堺電軌・和歌山軌道線』トンボ出版)


これから、一寸の間、このフィルムの中から、毎日、何枚かを展示したいと思っています。

何時も鉄道を撮影される若い方々にお願いなのですが、40年も経つと、実に見事に忘れます。最低限、日付と場所を控えましょうね。それがキーワードとなり少しずつ思い出せます。・・・・・・と、ジジイの繰言です。


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昭和35年東海道各駅停車の旅14 [東海道本線各停旅1960年]

So-netのブログは流石にβ版だけあって混雑タイムには使いにくいなあと思う今日この頃。でも、プロバイダSo-netは1998年以来のお付き合いだし、今後もお付き合いしたいし・・・・困ったものであります。So-netさんも、頑張っているようなので、ひたすら待つしかないのでしょうね。よろしくお願いしますよ~ソネット様。

・・・・・って訳で、6月6日(火曜日)の日記。朝から家でウダウダやってましたが15時にお出かけ。22時まで仕事。夕刻、小田急の鶴間駅で一寸だけ電車見物。大活躍中のうちに、5200、5000を撮っておかねばならんなあと思う。良い電車だ。

ホームページから削除してしまった『小田急昭和35年のアルバム』を復活させねば・・・・と思う。新旧取り混ぜて、元気に働いていた時代でしたものね。

・・・・・・で、今日の本題。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

13時09分に藤枝から乗った客車列車、東京駅発8時20分の京都行き125列車。いよいよ最終目的地の袋井駅に到着です。14時03分。藤枝駅から37.8kmです。東京からだと、238.1kmですから、京都までの半分は来ていません。昔々大昔の東海道五十三次では、袋井の宿が全工程の中間地点と聞いた事があります。ルートも違うので、そんなものかなあと思う。

停まった列車の窓から、目の下に静岡鉄道駿遠線のターンテーブルが見える。可愛い超軽量級。画面左側には新藤枝からのキロポスト。『60粁786米81』と細かくこだわって居ます。


京都行き125列車は出て行きます。最後尾の車はオハフ33でしょうか・・・・。左側に駿遠線の客車が見えています。私は、もう嬉しくって仕方がありません。


秋葉線を『あきわせん』って読むとは知りませんでした。とうとう、袋井まで来てしまいました。途中の藤枝での寄り道を含めて、8時間ほど掛かっております。

静岡鉄道駿遠線と秋葉線が私を待ってます。国鉄ホームのお隣に並ぶ駿遠線のホームには気動車が客車を一両引いて、発車時刻を待っています。

キハD5、前後に荷物デッキをつけた可愛らしいクルマです。

清掃係の小母さんが優しく窓を拭く。

跨線橋を渡って駅前に出ました。広場を挟んで、静鉄秋葉線のターミナルがありました。新袋井駅。

左側の大看板は『奉祝 皇孫殿下御誕生 東京猛獣サーカス特別公演』とあります。静鉄の職員さんの制服は詰襟に護謨長スタイル。

一寸だけ、街を行く秋葉線の電車を写したりしました。

東海道本線各駅停車の旅、今回の旅はこれでお仕舞いです。静岡鉄道駿遠線の袋井駅と袋井工場で車両を写し、何故か乗らずに、帰ることにしました。たしか、静岡駅で降りて、静岡鉄道の新静岡駅まで行き、すこしは電車を写した様です。さらに、静岡鉄道の本社にも立ち寄って、手紙で親切にいろいろお教え下さった静鉄社員のかたにお礼を申し上げたかったようです。なにしろ46年も昔のことゆえ、記憶はぼやけています。

袋井駅を後にする時に写したのでしょう。東海道本線の袋井駅ホームでのショット。国鉄ホームに並ぶ駿遠線ホームです。

東海道本線各駅停車の旅:昭和35年版を14回にわたってご覧くださって有難う御座いました。

このブログに明日からは、何を出そうかと考えているのですが、いまのところ何が何だか、決まっておらず・・・・・・・・困っている私です。

・・・・・・・では!!!


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昭和35年東海道各駅停車の旅13 [東海道本線各停旅1960年]

22時も過ぎれば、例によって、So-netブログの大混雑ゆえ、日記の書きこみは翌朝となっています。早期解決が望まれます。So-netさ~ん、頑張って!!!

昨日6月5日月曜日、数日前に市・都民税の納付書が送られてきたので、午前中に銀行に行き一年分全額納付。午後は夕刻まで外出。電車の話題無し。

そんな訳で連載ものの東海道・・・・・・。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

東京駅発8時20分の京都行き125列車、勿論、客車列車。島田駅を定刻に出て西に向かいます。大井川を渡り、牧の原台地の北の裾を、大きくカーブしながら走る東海道本線に大井川鉄道の単線の線路が近づき金谷駅。

急行貨物とすれ違います。オレンジ帯の急行用の貨車の列。ワキ1000、ワム90000。

懐かしい形の家々・南アルプスへの入り口の標識

金谷駅13時26分発。直ぐにトンネル。昔は堀の内という駅名だった菊川駅は13時44分。


お茶の栽培されている丘陵地を左右にカーブしながら走る。

掛川駅13時53分。

台車に山積の竹箒は、この辺の名産だったのでしょうか・・・・。

小笠郡は、お茶の産地。

いよいよ、この旅の最終目的地、袋井に列車は近づいて行きます。静岡鉄道駿遠線の西の国鉄連絡駅。遠州森町に至る路面電車、静岡鉄道秋葉線も出ておりました。

袋井駅でのお話は、また明日・・・・・・・・。


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昭和35年東海道各駅停車の旅12 [東海道本線各停旅1960年]

6月4日日曜日、雨は無かったけれど、梅雨前のはっきりしないお天気。午前中はPCと格闘。午後は夕刻まで出かけていたのですが、電車との接点は、小田急電車のガードをくぐった時に、上を電車が通過、その形式も覚えていない、そんな程度。

何時もの、東海道本線各駅停車のお話を続けます。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

今日の第一の目的地『藤枝駅』に到着しています。目的は『静岡鉄道駿遠線』で、国鉄藤枝駅を出て右側直ぐにある駿遠線の『新藤枝駅での駿遠線鑑賞』、そして『大手駅・工場の見学』です。

静岡鉄道駿遠線:新藤枝駅構内の光景・・・・・・・・む~さんは多数の車両を鑑賞し、撮影して大はしゃぎ。そして気動車で大手に向かいました。

静鉄駿遠線(大手線)の大手駅です。昔々の悪戯書き・・・・。

一応、この旅の写真から描いたものです。キハD6。

ついでに、切符も一枚。これは、昭和33年の訪問時、車内で購入したもので、駿遠線全線の駅名が出てるので・・・・・。

全長64.6km、当時としては、日本一の大軽便鉄道でありました。

この日の静岡鉄道駿遠線訪問のレポートは、私のホームページの下記のURLでご覧になれます。ついでの時にでも、どうぞ。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link238.html


駿遠線も見たし、次の目的地、袋井まで行きます。袋井駅は上の車内補充券にあるように、静岡鉄道駿遠線の一方の国鉄連絡駅なのです。

藤枝駅から乗ったのは、東京駅発8時20分の京都行き125列車。客車列車です。藤枝駅13時09分発。

国鉄藤枝駅にあった面白い施設。

京都行き125列車は藤枝駅を後にします。

藤枝~島田間の線路風景

島田駅に着きました。13時18分に発車です。ホームの時計を見ると定時運行していたようです。

これから列車は大井川を渡り、金谷駅に至ります(大井川の写真は無いんですが)。そこから先は、また明日。


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昭和35年東海道各駅停車の旅11 [東海道本線各停旅1960年]

日曜日、昼からお出かけ予定。午前中の暇な時間帯にブログ作成。連載企画の東海道本線各停の旅。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

東京駅発5時56分大阪行123列車。静岡駅を出て走る。茶どころ静岡の広告看板が出ている。進行方向左か右かもわからないけれど、静岡駅~用宗駅間である事は確かです。フィルムの順序から云えば安倍川を渡った辺りの筈ですが、なんとなく左側みたいな気もしますが、如何でしょうか?

用宗駅10時35分。右側に写っているローカル貨物列車はEF58が引いている。

用宗駅を出て直ぐ、左側。どうやら日本坂トンネルの新幹線への転用関連の工事らしい。現在は、ここの写真の真中に向かって東海道本線が走っている。この頃は海が見えなかった。

漁港の街、焼津駅10時44分。

さすが、漁業の街・・・・冷蔵車がずらりと並ぶ。記憶では、駅前のビルに大きな魚のネオンサインがあった。

ついに藤枝駅10時52分到着。200.3km各駅停車の旅は、ひとまず終わりました。静岡鉄道駿遠線のディーゼル機関車がちらりと見える、もう、嬉しくってわくわく致します。
・・・・・・フィルム取り出し時の手違いか光線曳き、しかも、部分伸ばしで見難い写真になりました。

ここ、藤枝駅で、東京駅から付き合ってきた、大阪行き123列車ともお別れです。

静岡鉄道駿遠線乗換駅の表示が嬉しい、む~さんでありました。

藤枝で下車し、『静岡鉄道駿遠線の新藤枝駅と大手駅を見学』した後、またも各駅停車に乗って袋井に向かった私であった。

続きは、また次回に・・・・・・・。


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昭和35年東海道各駅停車の旅10 [東海道本線各停旅1960年]

今日6月3日土曜日、用事があって車で小田急の柿生駅近辺まで行ってきた。途中、小田急沿いの道を通り、小田急の上下をクロスしたので、小田急の電車とも会えたけれど、殆どが3000系。
昭和38年、小田急沿線に引っ越してきた頃から43年間、ずっと小田急の電車を見てきたが、だんだんと形式が減ってきており、今度、5000系が減り始めるとの事。寂しいなあ!!!

今日の鉄道関係の話題は微小なんで・・・・・、連載の東海道各停の旅。

■ 1960年3月 東海道本線各駅停車 ■

東京駅発5時56分大阪行123列車は、清水駅を10時08分に発車しました。清水を出ると海側に静岡鉄道が平行する、結構、楽しい区間ですが、そう何本も出会えるチャンスも無い。うまい具合に静鉄の電車とすれ違います。新清水行きの急行モハ17の単行、元・東急のデハ3250です。
 

そして草薙駅10時15分

 
とうとう、列車は静岡駅に到着しました。静岡駅10時22分着・10時27分発で、5分停車です。今と違って、駅は高架ではなく、地平にありました。駅付近には大きなビルは少なく松坂屋が目立ちます。

そして、5分停車とあれば、お弁当屋さんの登場です。

左端の写真の『お弁当部分のクロースアップ』です。今思うと安いですね~!


東京を出て、180.2km/4時間26分、静岡まで来ました。いまの新幹線のぞみ号でしたら、広島を過ぎ、1,027kmの新山口駅あたりまで行くんでしょう。
まだまだ、旅は続きます。次回は、用宗駅からです。


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小田急・相武台前駅近辺・今昔 [小田急・江ノ電・箱根登山]

今日の午前中、家人と一緒に相模原市の相武台辺りに行きまして、家人が要件を済ませるまでの小一時間、一人で小田急の相武台前駅の小田原側の線路脇を右往左往しておりました。この線路際、座間市に属しております。

駅から小田原方向に三つ目の踏切です。なかなか交通量も多い。

この8000系の後部辺りに踏切が写ってますが、その踏切が『相武台前2号踏切』というらしいのです。その踏切で写した古い写真があります。撮影は1965年の4月。40年も昔のことです。快速準急小田原行き、HE車デハ2400系で、ブルーと黄色の2色塗り分けでした。

同じ時に同じ場所、小田原方向を見ています。SE車3000系。特急きんとき。

まあ、驚くべき事に、一面の桑畑。一番上の写真でご覧のように、いまは、住宅に埋まり、ここが同じ場所かどうか、かなり長い時間、悩んでしまった。

で、時は、現在。今日。6月2日の午前中に戻ります。


そろそろ、廃車の話が聞えてきた5000系、もっとも、5200系の方が先に無くなるとの話ですが。踏切から、小田原側を見ています。

更に小田原方面に300mほど移動しますと陸橋があり、良い眺めです。何本かの列車を撮影しました。


1000か2000か判りませんが・・・・・・。


3000系、食パン電車。


8000系。

VSE、50000系の特急です。このアングルが一番スマートかもしれません。

この陸橋の上、なかなか良い場所だと思いました。金網がありますが、小さなデジカメなら、金網の目から写せます。でっかいレンズだと、ちょっと撮り難いかもしれません。

そんな訳で、小田急の報告でした。では、また!!!


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